父の故郷である、高知市米田の中の谷は、夏は鬼ホタルと怪談の里であった。今でこそ村は開発されて昔の面影は薄いが、昔はよく父と親戚の農家を訪ねた。電車道りの国道から朝倉神社の境内を抜け、赤鬼山の下を小川に沿って、1キロほど北に歩くと「中の谷」の実家に着く。昔「フランク・チャンピオン」の飛行ショーのあった場所に近い。
途中、赤鬼山の下の小川には、夏になれば無数の鬼蛍が明滅していた。小川には水車があって、見渡す限りの水田に水を供給していた。農家から帰るとき、真っ暗な道を提灯を持って国道まで歩いて、暗闇の中に「ギイ、ギイ」という水車の音が聞こえてくると電停も近いことを知った。
間もなく、太平洋戦争が始まろうとする昭和16年の夏、父と二人で米田の家を訪ねたときである。近所の農家の夫婦が、赤鬼山の下を通って町のマーケットまで歩いて行った。前後10mほどの間隔で歩いていたのであるが、水車の近くで突然、二人の間から青い人魂が「フワー」と浮き上がった。後ろを歩いていた婦人は余りの恐ろしさに声も出ず、気を失ってその場に倒れた。前の男性は、事件には全く気付かずに、町まで歩いて行ったというのである。恐ろしいやら、滑稽なやら、村では大いなる話題となった。
この事件を見ても「人魂」は決して流星や、それに類する空の飛行物体ではない事が分かる。20年ほど昔、芸西村の天文台のドームの上に、低く浮遊する怪しい火の玉を見たが、確認に至らなかった。折から「ヘール・ボップ彗星」の輝くころであった。
"近代的な天文台の上にホウキ星のような青い火玉"面白い組み合わせである。
(写真は赤鬼山の下を流れる小川の道。ここに水車があれば昔のままの光景である)

(芸西天文台とヘールボップ彗星 1997年3月)


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途中、赤鬼山の下の小川には、夏になれば無数の鬼蛍が明滅していた。小川には水車があって、見渡す限りの水田に水を供給していた。農家から帰るとき、真っ暗な道を提灯を持って国道まで歩いて、暗闇の中に「ギイ、ギイ」という水車の音が聞こえてくると電停も近いことを知った。
間もなく、太平洋戦争が始まろうとする昭和16年の夏、父と二人で米田の家を訪ねたときである。近所の農家の夫婦が、赤鬼山の下を通って町のマーケットまで歩いて行った。前後10mほどの間隔で歩いていたのであるが、水車の近くで突然、二人の間から青い人魂が「フワー」と浮き上がった。後ろを歩いていた婦人は余りの恐ろしさに声も出ず、気を失ってその場に倒れた。前の男性は、事件には全く気付かずに、町まで歩いて行ったというのである。恐ろしいやら、滑稽なやら、村では大いなる話題となった。
この事件を見ても「人魂」は決して流星や、それに類する空の飛行物体ではない事が分かる。20年ほど昔、芸西村の天文台のドームの上に、低く浮遊する怪しい火の玉を見たが、確認に至らなかった。折から「ヘール・ボップ彗星」の輝くころであった。
"近代的な天文台の上にホウキ星のような青い火玉"面白い組み合わせである。
(写真は赤鬼山の下を流れる小川の道。ここに水車があれば昔のままの光景である)

(芸西天文台とヘールボップ彗星 1997年3月)


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