1954年5月だった。自作の9cmコメットシーカーで、夜明け前の東南の空を捜索しているとき、低空に9等級の彗星を発見した。30分ほどして観測を終えた時、何者かが家の門戸をどんどんと叩く。出て見ると土佐市のコメットハンターの池幸一氏である。蒼白な顔をして、「とうとうスイセイをやった!」という。そして土佐市からの約20キロの道のりを15分で飛んできた、と息せきこんでいる。もう明るくなったので彗星は見えないので、とにかく家に上がってもらって、星図を広げて調査した。彼の観たものも同じであった。彼はやや暗く10等星だといった。

 早速、手元の彗星に関する資料を調べたが、そんな明るい彗星は予報にない。そこで仮に
「関・池彗星」として、東京に電報を打った。ところが翌日東京天文台から連絡があって、浜松の池谷さんも、我々の観た翌日に独立に発見したという。しかしよく調べると、その位置は22Pのコップ周期彗星の位置に非常に近いという。コップ彗星の予報光度は14〜15等星であるから、全然明るさが違うが、ともかく異常現象として台長の広瀬秀夫博士は、スミソニアンのセンターに国際電報で知らせた。結局この彗星は我々の発見時点で100倍以上も増光していたことになる。

 この3人による発見劇は、気の早いマスコミが名前を誤って「関谷・池彗星」として報道さ
れた。本物の「イケヤ・セキ彗星」の出る1年ほど前の出来事である。 
 問題のコップ彗星は、その後の6年毎の度々の回帰で観測したが、1回も、異常な増光を見せたことはなかった。発見位置が非常な低空だったので、詳しく測定できなかったが、もしかして暗いコプ彗星のそばに、本当に明るい新彗星が出ていたのではなかったか?と思うことがある。

(写真は15cm反射望遠鏡と共に)

スキャン 1


にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村