戦時中、米田村に疎開しても当時の旧制中学の学生は学校に行かず、直接勤労奉仕の現場に向かった。私たちは関東軍の駐留する朝倉の荒倉峠で土木作業をした。敵が南方に迫り、敗戦が間近に迫っても、戦局は兵隊たちには知らされず、山にトーチカを掘る作業をしていたのである。

午後6時に勤務を終え、疎開先が近い友人と共に歩いて帰った。友人の住む宗安寺は米田のすぐ近くにあったので、二人でよく川に入って遊んだ。戦況よりも遊ぶことが第一であった。そんな時、帰り道の駄菓子屋で見た新聞には驚いた。
「ぴかり! 危ない 物影へ!」という見出しで広島市に投下された爆弾の恐ろしさについて報道したあった。
”新型爆弾"という事で原子爆弾とい
う記述はなかった。「今度の爆弾は壕の中に居てもいけないそうですね」と言う店のお客さんの言葉が妙に気になった。(一体それは何だろう?)疑惑と共に底知れに恐怖がこみ上げてきた。

(写真は戦時中水遊びした宗安寺付近の鏡川)
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