久しぶりで鏡川の河畔(築屋敷)を歩いてみた。まだ気温が高いが、野原はだんだんと秋が進んできていることが分かる。立ち並ぶ家の古い門札は、昔から名前が全く変わっていない。豪華な石垣の家に「山崎」とかかっていた。
あれは1948年の秋であった。突然明け方の空にホウキボシが現れた。”日食彗星”である。日本で、それを最初に発見して報告したのがこの家の山崎さんだった。当時高校生だった私は、初めて望遠鏡をこしらえて、この彗星に挑戦した。それは老眼鏡の玉と、虫メガネを組み立てたもので私の記念すべき天体望遠鏡の、第一号であった。
自作第一号機では”日食彗星”は見えなかったが、折から南中していた木星が見えた。初めて観る惑星であったが、それは、あたかも闇夜に提灯が輝いている様子であった。今から400年余り前、イタリアのガリレオが作った程度の性能であったと思う。


にほんブログ村
あれは1948年の秋であった。突然明け方の空にホウキボシが現れた。”日食彗星”である。日本で、それを最初に発見して報告したのがこの家の山崎さんだった。当時高校生だった私は、初めて望遠鏡をこしらえて、この彗星に挑戦した。それは老眼鏡の玉と、虫メガネを組み立てたもので私の記念すべき天体望遠鏡の、第一号であった。
自作第一号機では”日食彗星”は見えなかったが、折から南中していた木星が見えた。初めて観る惑星であったが、それは、あたかも闇夜に提灯が輝いている様子であった。今から400年余り前、イタリアのガリレオが作った程度の性能であったと思う。


にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。