”セプテンバーコメット”という彗星があります。それは1882年9月に大西洋を航行中の汽船の上からたくさんの人によって発見された「太陽を掠める彗星群」の一つで、”クロイツ族”と呼ばれている彗星です。周期は大体1千年くらいで太陽を公転していますが、1965年に発見された”イケヤ・セキ彗星”もそのクロイツ族の一員です。その年の10月21日に太陽に大接近しましたので、もしこの時多くの人によって発見されたのでしたら、きっと「オクトーバーコメット」と呼ばれた事でしょう。
その「池谷・関彗星」を発見したのが1965年の今日、つまり19日だったのです。しかも同じ日曜日でした。折から接近中の台風18号が四国地方を通り抜けた後の快晴の夜空に発見したのでした。今日が、あの日に一番よく似た日でした。
あの時にはわずか口径88mmの屈折望遠鏡を使用していました。発見の決め手となったのは、アイピースに35mmの特殊なエルフレ式広角レンズをつかっていたことでした。口径は小さくとも17xで、実視野は3.5度もありました。「アッ」という間に高空から地平線まで捜索し、収穫が無いと見ると今度は方向を南に向けて、もう一度、高空から低空まで捜索する時間的なゆとりがあったのです。この東南方向を重視した掃天で千年に一度という大者の彗星が網にかかってきたのです。そこから後の下りは今更申し上げることもありますまい。自転車を飛ばしての東京天文台への至急電報発信です。
ちょうどこのころ、大先輩の本田実氏も捜索していたのですが、見落とされていたといいます。光度は8等級で3分角くらいの、尾のない光芒です。発見当初は平凡な放物線軌道の彗星と思っていたのですが、それが大変なことが分かったのは、それから約1週間後の国際天文学連盟らの電報です。
即ち、フランスの天文学者、リゴレ博士はこの彗星の発見位置を一回見ただけで、この彗星が1ヵ月後の10月21日に近日点を通過して、今世紀最大のホウキ星になる事を予言したのです。
これはおどろきです。1回だけの観測で、軌道もまだ計算されていないのに、すべてを察知している。リゴレさんは大変な予言者であり、日本でいう「易者」なのか?このリゴレ博士の予言がピタリと当たって、発見から約1ヶ月後の10月21日には世界中の多くの天文ファンが、秋たけなわの九天を仰ぐことになったのです。そこには、彗星の太陽コロナ突入という空前絶後?の大現象が、待ち受けていたのです。その様子は、このホームページの冒頭の写真にも使われ、私の名詞にも印刷されています。(つづく)


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その「池谷・関彗星」を発見したのが1965年の今日、つまり19日だったのです。しかも同じ日曜日でした。折から接近中の台風18号が四国地方を通り抜けた後の快晴の夜空に発見したのでした。今日が、あの日に一番よく似た日でした。
あの時にはわずか口径88mmの屈折望遠鏡を使用していました。発見の決め手となったのは、アイピースに35mmの特殊なエルフレ式広角レンズをつかっていたことでした。口径は小さくとも17xで、実視野は3.5度もありました。「アッ」という間に高空から地平線まで捜索し、収穫が無いと見ると今度は方向を南に向けて、もう一度、高空から低空まで捜索する時間的なゆとりがあったのです。この東南方向を重視した掃天で千年に一度という大者の彗星が網にかかってきたのです。そこから後の下りは今更申し上げることもありますまい。自転車を飛ばしての東京天文台への至急電報発信です。
ちょうどこのころ、大先輩の本田実氏も捜索していたのですが、見落とされていたといいます。光度は8等級で3分角くらいの、尾のない光芒です。発見当初は平凡な放物線軌道の彗星と思っていたのですが、それが大変なことが分かったのは、それから約1週間後の国際天文学連盟らの電報です。
即ち、フランスの天文学者、リゴレ博士はこの彗星の発見位置を一回見ただけで、この彗星が1ヵ月後の10月21日に近日点を通過して、今世紀最大のホウキ星になる事を予言したのです。
これはおどろきです。1回だけの観測で、軌道もまだ計算されていないのに、すべてを察知している。リゴレさんは大変な予言者であり、日本でいう「易者」なのか?このリゴレ博士の予言がピタリと当たって、発見から約1ヶ月後の10月21日には世界中の多くの天文ファンが、秋たけなわの九天を仰ぐことになったのです。そこには、彗星の太陽コロナ突入という空前絶後?の大現象が、待ち受けていたのです。その様子は、このホームページの冒頭の写真にも使われ、私の名詞にも印刷されています。(つづく)


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