愛媛県御荘町には「紫電改」が展示されている館があります。「紫電改」は終戦前の昭和19年頃台頭してきた日本海軍の主力戦闘機で、高性能を誇った「ゼロ戦」の後継機と言われ、陸軍の疾風(ハヤテ)と共に名声の高い戦闘機でした。
昭和20年7月4日の高知市大空襲の最中に、私は戦闘機の爆音を聞きました。忽ち一機のB-29が火の玉となって墜落しましたが、これは近くの三島飛行場(海軍)を飛び立った紫電改の攻撃によるものであったと思われます。私たちが、飛行場で学徒動員として働いている時、駐留中の紫電改を度々見ました。
御荘町に保存されている紫電改は終戦直前に九州の大村飛行場を飛び立ち、グラマンと交戦して帰らなかった一機と目されています。50mほどの海底に長い事眠っていましたが、ほぼ原形をとどめたまま引き揚げられました。
一緒に見学に来ていた孫娘の「優花」が、懸命に鶴を折っていました。そして慰霊の為にお供えしました。一体搭乗員はどんな人だったろう。敗戦から70年以上も経って、未知なる少女からの祈りに、きっと微笑んでいるだろう、と独り考えていました。
(写真は紫電改と鶴を折る優花)



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昭和20年7月4日の高知市大空襲の最中に、私は戦闘機の爆音を聞きました。忽ち一機のB-29が火の玉となって墜落しましたが、これは近くの三島飛行場(海軍)を飛び立った紫電改の攻撃によるものであったと思われます。私たちが、飛行場で学徒動員として働いている時、駐留中の紫電改を度々見ました。
御荘町に保存されている紫電改は終戦直前に九州の大村飛行場を飛び立ち、グラマンと交戦して帰らなかった一機と目されています。50mほどの海底に長い事眠っていましたが、ほぼ原形をとどめたまま引き揚げられました。
一緒に見学に来ていた孫娘の「優花」が、懸命に鶴を折っていました。そして慰霊の為にお供えしました。一体搭乗員はどんな人だったろう。敗戦から70年以上も経って、未知なる少女からの祈りに、きっと微笑んでいるだろう、と独り考えていました。
(写真は紫電改と鶴を折る優花)


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