去る12月8日、プラネタリウムのある、高知市オーテピアの科学館で"芸西天文台誕生40周年の記念会"が模様された日、会場の後ろに私の発行した本が並べられました。よくこれだけ集めたものだと思いますが、たった1冊だけ抜けているのに気が付きました。それは1975年7月に、香川県のある印刷所から発行された赤い表紙の「スカイ ハンター」という本です。
このころ、香川県の多度津町に、中順三郎という反射鏡を磨く名人がいて、よく私の観測作業を手伝ってくれました。彼が日中戦争の時、占領下の紫金山天文を撮った写真は貴重なものでした。
戦前は日本で初めて反射鏡を研磨した京都大のN氏とも親交がありましたが、何が原因か、ドームの天井で首を吊った話には驚かされました。
中氏は四国に帰った後も望遠鏡の製作を続け、彼の磨いた16cmの反射望遠鏡で、藤川氏が彗星を発見した話は有名です。藤川氏によると、拙著「未知の星を求めて」で彗星発見のすばらしさを知り、コメットハンターになったのでした。「スカイ ハンター」という本はそのころの本です。また、国内における「彗星会議」も、そのころスタートしたのでした。何か、この本は戦後の日本での彗星発見のエポックを築いたような気がして、私には忘れられない本です。
私だけしか知らない幻の赤い表紙の本は、そのうちにオーテピアの図書室に姿を見せるでしょう。
(オーテピアの講演会場に並んだ関勉の星の本。2021.12.08)
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このころ、香川県の多度津町に、中順三郎という反射鏡を磨く名人がいて、よく私の観測作業を手伝ってくれました。彼が日中戦争の時、占領下の紫金山天文を撮った写真は貴重なものでした。
戦前は日本で初めて反射鏡を研磨した京都大のN氏とも親交がありましたが、何が原因か、ドームの天井で首を吊った話には驚かされました。
中氏は四国に帰った後も望遠鏡の製作を続け、彼の磨いた16cmの反射望遠鏡で、藤川氏が彗星を発見した話は有名です。藤川氏によると、拙著「未知の星を求めて」で彗星発見のすばらしさを知り、コメットハンターになったのでした。「スカイ ハンター」という本はそのころの本です。また、国内における「彗星会議」も、そのころスタートしたのでした。何か、この本は戦後の日本での彗星発見のエポックを築いたような気がして、私には忘れられない本です。
私だけしか知らない幻の赤い表紙の本は、そのうちにオーテピアの図書室に姿を見せるでしょう。
(オーテピアの講演会場に並んだ関勉の星の本。2021.12.08)
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