1945年8月16日、日本は連合軍の「ポツダム宣言」を受託して”無条件降伏”が成立したはずでした。しかし血気にはやった愛国心の強い青年将校たちは降伏を認めず、各地で連合軍相手に、テロ攻撃することを誓っていました。その一つの例として、第128震洋隊の奇怪な事件があります。
「震洋隊」とは一種の特攻隊で”人間魚雷”の様な物。爆薬を積んで敵の艦船に体当たりして沈める一人乗りの特攻艇で、宵闇に紛れて時速60kmほどのスピードで体当たりして行きました。終戦の翌日、震洋隊の本部のあった須崎市から一通の怪電報が届きました。
「南方洋上ニ敵艦アリ,第128震洋隊タダチニ出撃セヨ」と。これは明らかに偽物の電報でした。高知県の住吉海岸を拠点にして待機していた150名の隊員たちは、夕闇の迫りくる8月16日、多くの舟艇に爆薬を運んで出撃の準備をしていたのです。
そんな時、どうしたはずみか一つの舟が突然爆発し、数十隻の舟艇が次々と連鎖爆発。火柱と黒い煙は住吉海岸の天をおおいました。多くの兵士が爆発によって天高く吹き上げられる様子が東の芸西村から見えたと言います。美しい海岸は一瞬にして赤い修羅場と化しました。
あれから72年経った今、現地を訪れると海は何事も無かったかのように美しい色をたたえていました。しかし打ち寄せる波の音に混じって、無念の犠牲者の叫びが、幽かに聞こえるような気がしてなりませんでした。
(写真は住吉海岸にある第128震洋隊の慰霊碑と事件のあった海岸)



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「震洋隊」とは一種の特攻隊で”人間魚雷”の様な物。爆薬を積んで敵の艦船に体当たりして沈める一人乗りの特攻艇で、宵闇に紛れて時速60kmほどのスピードで体当たりして行きました。終戦の翌日、震洋隊の本部のあった須崎市から一通の怪電報が届きました。
「南方洋上ニ敵艦アリ,第128震洋隊タダチニ出撃セヨ」と。これは明らかに偽物の電報でした。高知県の住吉海岸を拠点にして待機していた150名の隊員たちは、夕闇の迫りくる8月16日、多くの舟艇に爆薬を運んで出撃の準備をしていたのです。
そんな時、どうしたはずみか一つの舟が突然爆発し、数十隻の舟艇が次々と連鎖爆発。火柱と黒い煙は住吉海岸の天をおおいました。多くの兵士が爆発によって天高く吹き上げられる様子が東の芸西村から見えたと言います。美しい海岸は一瞬にして赤い修羅場と化しました。
あれから72年経った今、現地を訪れると海は何事も無かったかのように美しい色をたたえていました。しかし打ち寄せる波の音に混じって、無念の犠牲者の叫びが、幽かに聞こえるような気がしてなりませんでした。
(写真は住吉海岸にある第128震洋隊の慰霊碑と事件のあった海岸)


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