終戦の翌日の8月16日、高知県の住吉海岸で起きた謎の事件について述べましたが、実はこの日もう一つの怪事件がありました。
今年の8月16日、一家で仁淀川の源流地に近い「安居渓谷」に出かけました。伊野のインターに入る前に「中の谷橋」を通りました。そう!私たちが戦時中、疎開していた米田の中の谷村です。前方左側に赤鬼山が見えました。「アッ」と言う間に通りすぎたのですが、72年前の今日、疎開先で起こった戦慄すべき事件を思い出さずには居られませんでした。
終戦の年の夏はとり分け暑い夏で、全く雨が降りませんでした。8月16日の21時頃だったでしょうか?静まり返った中の谷の空に、あの不気味なB-29の爆音が聞こえてきました。「ブルン、ブルン」と、ただ一機のようです。爆音の恐怖に怯えていた私たちは警戒しながら(戦いは終わったはずだから・・・)と思って、半ば安心しながら真っ暗な夜空を仰ぎました。
突然、真上の空が赤く光りました。父が「しまった!ここに落ちた」と叫びました。すると「ザーッ」というあの爆弾の落ちる独特の不気味な音が聞こえてきました。私は恐怖の余り土間に飛び込んで、伏せようかどうしょうか、中腰になっていると「カーン」という大きな音が裏山の方で木霊しました。爆弾にしては変です。
翌日起きてみると、山にはまるで雪が降ったかと思われる白で覆われています。近づいて良く見ると、それは敵機からの宣伝ビラでした。連合軍は日本が無条件降伏したことを国民の多くに知らせようと、ビラを投下して行ったのです。今でもその文の一部は記憶しています。
「日本ノミナサン、今日ハ爆弾ヲ落トシニ来タノデハアリマセン。オ国ノ政府ガ受託シタ降伏の条件ニツイテ、オ知ラセシマス、、、、、、」とB6くらいの大きさの紙に綴られ、敗戦を虚構と思っていた我々に大きなショックを与えたのでした。宣伝ビラには”ポツダム宣言”という聞きなれない言葉が何回も使われていました。
(写真は高知県仁淀村の安居渓谷の大自然)




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今年の8月16日、一家で仁淀川の源流地に近い「安居渓谷」に出かけました。伊野のインターに入る前に「中の谷橋」を通りました。そう!私たちが戦時中、疎開していた米田の中の谷村です。前方左側に赤鬼山が見えました。「アッ」と言う間に通りすぎたのですが、72年前の今日、疎開先で起こった戦慄すべき事件を思い出さずには居られませんでした。
終戦の年の夏はとり分け暑い夏で、全く雨が降りませんでした。8月16日の21時頃だったでしょうか?静まり返った中の谷の空に、あの不気味なB-29の爆音が聞こえてきました。「ブルン、ブルン」と、ただ一機のようです。爆音の恐怖に怯えていた私たちは警戒しながら(戦いは終わったはずだから・・・)と思って、半ば安心しながら真っ暗な夜空を仰ぎました。
突然、真上の空が赤く光りました。父が「しまった!ここに落ちた」と叫びました。すると「ザーッ」というあの爆弾の落ちる独特の不気味な音が聞こえてきました。私は恐怖の余り土間に飛び込んで、伏せようかどうしょうか、中腰になっていると「カーン」という大きな音が裏山の方で木霊しました。爆弾にしては変です。
翌日起きてみると、山にはまるで雪が降ったかと思われる白で覆われています。近づいて良く見ると、それは敵機からの宣伝ビラでした。連合軍は日本が無条件降伏したことを国民の多くに知らせようと、ビラを投下して行ったのです。今でもその文の一部は記憶しています。
「日本ノミナサン、今日ハ爆弾ヲ落トシニ来タノデハアリマセン。オ国ノ政府ガ受託シタ降伏の条件ニツイテ、オ知ラセシマス、、、、、、」とB6くらいの大きさの紙に綴られ、敗戦を虚構と思っていた我々に大きなショックを与えたのでした。宣伝ビラには”ポツダム宣言”という聞きなれない言葉が何回も使われていました。
(写真は高知県仁淀村の安居渓谷の大自然)



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