カノープスを南に高く見せる土佐湾の海岸は果てしなく西に遠い。いつの日か足摺岬に近い大方町の海岸に遊んだことがあった。ここには美しい松林と運動公園がある。冬温暖なところで、かつてはプロ野球の球団が冬季のキャンプ地に選んだ。
 小さな街並みを歩いていると、公民館らしい建物に「漂流物展示会場」の看板が眼につく。この付近は、黒潮の最も早く到着する海岸で、外国からのいろんな漂流物がある。どこの国からやってきたのか、夥しい鬼のお面や水筒。それにブイなんかの船の供え物が多い。それらの中に、珍しくもダイヤモンドの指輪があった。ケースは、海の中での永い旅のせいか、すでに見る影もなく腐敗しているのだが、中の小さな指輪のダイヤモンドは、燦然たる小さな光を放っていた。

 これには何かのロマンがありそうであった。太平洋戦争が激しくなった1943年頃には、ろくに訓練も受けていない若い兵士たちが南方に送られた。兵士や武器を満載した輸送船の多くは、南シナ海でアメリカの潜水艦の攻撃をうけて沈没した。兵士の多くは戦死したが、この時海に浮かんだ漂流物が黒潮に乗って、長い才月をかけて日本の海岸に漂着した。
 このダイヤの漂流物を拾ったのは、戦時中に夫を南方で亡くした1未亡人であったという。夫人は余りにも変わり果てた指輪のケースに、夫に贈った結婚指輪だとは全く気が付かなかったという。かつての戦時中には、この様な悲劇が多かった。

 本田実氏は結婚後すぐに中国大陸に送られた。初めは露満国境で警備についていたが、部隊はその後、マレー半島に移動した。戦勝下のシンガポールでのわずかな平和な時期に、本田さんは天体望遠鏡を自作した。椰子の木陰から仰ぐ南十字。もしここで、彗星でも発見したら、自分の無事であることが故郷の妻に届くだろうと思った。捜索にはおのずと熱が入った。西の平線に頭から落ちて行く獅子座の近くに朦朧として尾を引く彗星を発見したのであった。奇跡が起こった。
  「戦線でも科学する日本兵」
 この様な見出しで内地の「読売新聞」に記事が出たのは間もなくの事であった。そして涙して記事を読む慧(さとる)夫人の姿もあった。

 このころ東京三鷹の「東京天文台」にいた神田茂氏は、本田氏の発見した彗星が「グリグ スケレルプ」周期彗星の回帰であることを発表したのであった。そして、戦時中であるにもかかわらず、本田さんの発見を東京天文台に電報した理解ある上官は、気象台出身の大尉であったという。混乱した戦時中であるとはいえ、美しい話はあるものである。


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