池谷・関彗星の曲
キューバのあるジャズの楽団に所属するホセ・M・カレヨは優れたサックスの奏者であるとともに作曲家でもあった。1965年9月に発見された「イケヤ・セキ彗星」は近日点を通過した10月下旬には、南よりのコースを辿りキューバでは非常によく見えた。ハバナ市に在住するカレヨ氏は暁の空に長い尾を曳いて輝く彗星を見た瞬間、あるメロディーが即興的に浮かんできた。曲は、”Comet Ikeya-Seki"と題して、同楽団で度々演奏された。そしてその楽譜が日本音楽著作権協会を通じて発見者たる日本の、池谷さんと私の下に送られてきた。
しかし楽曲はオーケストラ用の、なかなかの難曲で、簡単に演奏するわけにはいかなかった。ところが1990年頃、カレヨの所属するキューバの楽団が、日本からの招待に応じて、日本国内で演奏旅行を行った、というのである。更に面白い事に、高知市の桟橋通りの体育館での演奏会の中で、カレヨの「イケヤ・セキ彗星の曲」が演奏された。カレヨ氏は、恐らく高知市が私の故郷とは知らずに演奏に加わったものと思え、偶然とはいっても実に面白い成り行きだと思った。
面白い結果と言えば、まだある。この話を聞いたある民間のテレビ局が、キューバに行って作曲者に会うという番組を企画した。「走れポストマン」と言うテレビ番組で、その番組のスタッフがハバナ市の楽団をたずねた。ところが不幸にも作曲者のカレヨはすでに5年前に死去しているということであった。そこで楽団の団長が、亡きカレヨを偲んで演奏会を開こうという事になった。
こうして楽団の旧メンバーが集められて、ハバナ市の音楽堂でカレヨと日本人のための音楽会が開催されたのである。無論メインの曲は最後に演奏された「池谷・関彗星の曲」であった。
ここで面白い事実を公表しよう。池谷・セキ彗星が太陽に大接近して明るくなった記念日の(10月21日)に、芸西天文台で発見した小惑星(10803)にホセ・M・カレヨ氏を記念して”Careyo"と命名しスミソニアンの命名センターで認められた。
カレヨの星は今も大宇宙で、地球から次第に遠くなる「池谷関彗星」を追って輝き続けているであろう。澄み渡った冬の星空から、彼の演奏するサックスの音色が、聞こえてくるようである。
(写真は即興的に作曲したイケヤ・セキ彗星の楽譜と、若き日のカレヨ氏)


にほんブログ村
キューバのあるジャズの楽団に所属するホセ・M・カレヨは優れたサックスの奏者であるとともに作曲家でもあった。1965年9月に発見された「イケヤ・セキ彗星」は近日点を通過した10月下旬には、南よりのコースを辿りキューバでは非常によく見えた。ハバナ市に在住するカレヨ氏は暁の空に長い尾を曳いて輝く彗星を見た瞬間、あるメロディーが即興的に浮かんできた。曲は、”Comet Ikeya-Seki"と題して、同楽団で度々演奏された。そしてその楽譜が日本音楽著作権協会を通じて発見者たる日本の、池谷さんと私の下に送られてきた。
しかし楽曲はオーケストラ用の、なかなかの難曲で、簡単に演奏するわけにはいかなかった。ところが1990年頃、カレヨの所属するキューバの楽団が、日本からの招待に応じて、日本国内で演奏旅行を行った、というのである。更に面白い事に、高知市の桟橋通りの体育館での演奏会の中で、カレヨの「イケヤ・セキ彗星の曲」が演奏された。カレヨ氏は、恐らく高知市が私の故郷とは知らずに演奏に加わったものと思え、偶然とはいっても実に面白い成り行きだと思った。
面白い結果と言えば、まだある。この話を聞いたある民間のテレビ局が、キューバに行って作曲者に会うという番組を企画した。「走れポストマン」と言うテレビ番組で、その番組のスタッフがハバナ市の楽団をたずねた。ところが不幸にも作曲者のカレヨはすでに5年前に死去しているということであった。そこで楽団の団長が、亡きカレヨを偲んで演奏会を開こうという事になった。
こうして楽団の旧メンバーが集められて、ハバナ市の音楽堂でカレヨと日本人のための音楽会が開催されたのである。無論メインの曲は最後に演奏された「池谷・関彗星の曲」であった。
ここで面白い事実を公表しよう。池谷・セキ彗星が太陽に大接近して明るくなった記念日の(10月21日)に、芸西天文台で発見した小惑星(10803)にホセ・M・カレヨ氏を記念して”Careyo"と命名しスミソニアンの命名センターで認められた。
カレヨの星は今も大宇宙で、地球から次第に遠くなる「池谷関彗星」を追って輝き続けているであろう。澄み渡った冬の星空から、彼の演奏するサックスの音色が、聞こえてくるようである。
(写真は即興的に作曲したイケヤ・セキ彗星の楽譜と、若き日のカレヨ氏)


にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。