ここは天下の桂浜である。坂本龍馬の銅像の前に立つマースデン博士ら3人である。
幕末の鎖国の日本にあって、海援隊を組織し、新しい国に憧れて海洋に乗り出していった龍馬。天体の軌道計算において、初めて彗星の非重力効果を算入して新しい分野を開拓していったスミソニアンのマースデン博士。お互いにその住む世界は違っても、追及する精神は共通していたような気がする。
1970年頃、私がアマチュアとして初めて小惑星や彗星の精密位置測定をはじめたとき、東京天文台の天文家から「それはプロの世界であって、アマチュアのやるべきことではない」という反対があった。一方アメリカのマースデン博士は、私が初めて発表した彗星の精密位置測定に、非情な関心を持って東京天文台に問い合わせてきた。そして「いまやプロの精密測定だけでは、とても多くの観測には追いつかない」というのがマースデン氏の意見であった。今や日本では、彗星の精密位置観測をしているのは、その99パーセントがアマチュアである。
アマチュアでもプロ的な長谷川一郎氏(写真向かって左)は、アマチュアの技術に懐疑的であって反対していた。しかしアマチュアの位置測定が正しくどんどん進行していく様をみて、納得したというところであった。彼は優れた理論家であって、こうした技術には弱かった。
私の位置測定は、直接スミソニアンのマースデン博士に送ったが、彼はその一つ一つについて計算し、万一悪いものは再測定を依頼してきた。日本のプロ天文家が、頭から全く問題にしなかったことも、まじめに対処して指導してくれた。世界のトップに立つ学者が、一介のアマチュアを相手にするのも、日本とは違った国民性であろう。これによって刺激を受けた天文家が全国から輩出した。
マースデン博士は、1987年に日本に来て東京天文台はもとより、全国の天文に関係する専門家やアマチュアを尋ねたが、高知県でも芸西天文台を視察した後、私の家に集まって会議を開いた。そして、高知城を訪れ、山内一豊公が使ったとされる天体望遠鏡や、日時計を視察した。
彼が日本を離れてから、すぐに送った記念の日本人形が、船便で2か月後に届いた。


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幕末の鎖国の日本にあって、海援隊を組織し、新しい国に憧れて海洋に乗り出していった龍馬。天体の軌道計算において、初めて彗星の非重力効果を算入して新しい分野を開拓していったスミソニアンのマースデン博士。お互いにその住む世界は違っても、追及する精神は共通していたような気がする。
1970年頃、私がアマチュアとして初めて小惑星や彗星の精密位置測定をはじめたとき、東京天文台の天文家から「それはプロの世界であって、アマチュアのやるべきことではない」という反対があった。一方アメリカのマースデン博士は、私が初めて発表した彗星の精密位置測定に、非情な関心を持って東京天文台に問い合わせてきた。そして「いまやプロの精密測定だけでは、とても多くの観測には追いつかない」というのがマースデン氏の意見であった。今や日本では、彗星の精密位置観測をしているのは、その99パーセントがアマチュアである。
アマチュアでもプロ的な長谷川一郎氏(写真向かって左)は、アマチュアの技術に懐疑的であって反対していた。しかしアマチュアの位置測定が正しくどんどん進行していく様をみて、納得したというところであった。彼は優れた理論家であって、こうした技術には弱かった。
私の位置測定は、直接スミソニアンのマースデン博士に送ったが、彼はその一つ一つについて計算し、万一悪いものは再測定を依頼してきた。日本のプロ天文家が、頭から全く問題にしなかったことも、まじめに対処して指導してくれた。世界のトップに立つ学者が、一介のアマチュアを相手にするのも、日本とは違った国民性であろう。これによって刺激を受けた天文家が全国から輩出した。
マースデン博士は、1987年に日本に来て東京天文台はもとより、全国の天文に関係する専門家やアマチュアを尋ねたが、高知県でも芸西天文台を視察した後、私の家に集まって会議を開いた。そして、高知城を訪れ、山内一豊公が使ったとされる天体望遠鏡や、日時計を視察した。
彼が日本を離れてから、すぐに送った記念の日本人形が、船便で2か月後に届いた。

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