1986年の3月だった。赤道直下のバリ島にわたった。1910年以来、76年ぶりに回帰したハレー彗星を見るのがその目的だった。
 バリのホテルについた初日、広大な庭で、華やかな宴会が行われているさなか、わたしはそっと抜け出して、すぐ南の海にむかった。空はやや薄雲があったが、それだけに「南十字」は浮きたって、真っ暗な海の上に浮かんでいた。少年の頃からあこがれていた「南十字」を初めて見た。

 小学生の頃には日中戦争のさなかだった。日本が世界に勢力を広げようとしているとき、少年の読み物も、それを鼓舞する冒険ものが多かった。
 例えば、山中峯太郎の「アジアに立つ火柱」、南洋一郎の「南十字星の下に」、そして出ました!海野十三の「火星兵団」。これらそれぞれが個性のある冒険小説で、若い日本の少年たちの血を、大いに沸かすものであった。特に毎日系の小学生新聞に連載された「火星兵団」は初めて知る宇宙の広大さに目を見張り、宇宙人の跳梁に恐れ、そして地球に衝突することになる「モウロウ彗星」の動きに注目したものである。そして現実に肉眼でみえる大彗星「カニンガム彗星」が登場してストーリーを一層引き立てた。
 カニンガム彗星は連載中の1940年頃の夕空に3〜4等星として肉眼で見えた。また宇宙船の窓から見た「地球は青かった」と言う有名な言葉は、ロシアのガガーリンより海野が15年も早かったのである。

 アポロ宇宙船では、アームストロング船長が初めて月面に人類の第一歩を記録した。海野の小説では、初めて月面に降り立った船長が、人類未踏のはずの月の砂の上に落ちていた缶詰めの空き缶を拾いあげるのである。ここらあたりがスリラー小説の名手である海野の面白い発想である。海野は江戸川乱歩の弟子でもあった。海野が徳島の実家で小説を書いたと言われる書斎に行ったことがある。4畳半の畳に質素な、座り机。周囲の唐紙は蕭条とした火星の世界の如く見えた。しばらく座っていると襖がそっと開いて「ヌウー」と火星人のような顔をした、管理人の姿が見えた。

 日本での推理小説の大御所、江戸川乱歩の先生は彼を世に出した東京「博文館」の森下雨村であった。雨村は高知県佐川町の出身で、かの天文の山崎正光氏と同郷。二人にどんな関係があったか分からぬが、家が近く調べてみると面白いと思う。確か牧野富太郎博士も同郷である。三人共に、芸西で発見した小惑星に名前がついて今宇宙を飛んでいる。

(写真はバリ島で初めて見た南十字)

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