終戦からしばらくの間は強盗や、窃盗、更に殺人等の犯罪の横行する無秩序な時代が続きました。そして食糧難が深刻でした。主食の米も配給制で、大人が一日当たり2合3勺であったことを覚えています。当時はお米ばかり食べて副食品が少なかったので、足りなかったのです。
そうした暗黒の時代に何とかお腹の足しにしようと、私たちの町内では集団で鏡川に漁に出かけました。深夜の川沿いの道を3km程歩いて、鏡川の河口に近い浅瀬で、夜、川底で眠っているハゼやゴリ等の川魚を手で掴みどりするのです。川底を照らす強烈なガスランプの光や匂いが、今でも体の中に残っています。
そうしたある日、奇怪なことが起こりました。干潮の時間で、確かに水は少ないのですが、普段の魚が全くいないので、つい浦戸湾の近くの河口まで来てしまったのです。その時、父が頓狂な声で「あれを見よ!」と叫びました。父の指差す沖を透かし見ると、黒い海底が盛り上がって、湾はまるで丘の様になっています。水は全くなく、ヘドロの山です。河口の島の丸山台まで歩いて行けそうです。
(これは一体どうした事だろう?)私たち一行はお互いに不満を漏らしながら早暁の暗い道を帰りました。時は1946年12月の暮れでした。
ああ!この不可解な現象が、あの恐ろしい事件の前兆だったのです。
(写真は高知市中央を流れる鏡川の河口付近。小さな島は丸山台)


にほんブログ村
そうした暗黒の時代に何とかお腹の足しにしようと、私たちの町内では集団で鏡川に漁に出かけました。深夜の川沿いの道を3km程歩いて、鏡川の河口に近い浅瀬で、夜、川底で眠っているハゼやゴリ等の川魚を手で掴みどりするのです。川底を照らす強烈なガスランプの光や匂いが、今でも体の中に残っています。
そうしたある日、奇怪なことが起こりました。干潮の時間で、確かに水は少ないのですが、普段の魚が全くいないので、つい浦戸湾の近くの河口まで来てしまったのです。その時、父が頓狂な声で「あれを見よ!」と叫びました。父の指差す沖を透かし見ると、黒い海底が盛り上がって、湾はまるで丘の様になっています。水は全くなく、ヘドロの山です。河口の島の丸山台まで歩いて行けそうです。
(これは一体どうした事だろう?)私たち一行はお互いに不満を漏らしながら早暁の暗い道を帰りました。時は1946年12月の暮れでした。
ああ!この不可解な現象が、あの恐ろしい事件の前兆だったのです。
(写真は高知市中央を流れる鏡川の河口付近。小さな島は丸山台)

にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。