春爛漫の鏡川畔を歩いてみました。2級河川「鏡川」の流れの彼方に「筆山」がみえています。この麓の原っぱは、戦前の平和な時代には、大凧揚げで賑わった場所です。また少年たちの模型飛行機の大会もありました。
 高知県の土佐市出身の祖父「関丑郎」は、大凧上げの名人でした。毎年風の強い冬場には、畳6畳分もある大凧を作って、空高く舞い上げるのが大きな楽しみでした。ほかにも同好者が沢山いて、冬場の筆山の空は、色とりどりの大凧小だこで、にぎわったものです。

 時局柄、大凧に書いてある模様や文字は、「必勝」とか「大政」とかの戦意を鼓舞する文字が多くありましたが、祖父は当時の紀元2600年を記念した、縦文字の「二六〇〇」を好んで描いていました。軽くて強靭な土佐和紙を張り合わせて作られた大凧は、大戦前の国民の戦意を高揚するが如く、大空に高く舞い上がっていくのでした。この勇ましい大凧の姿が、やがて日本が発明した第2次大戦中の「風船爆弾」への、奇想天外な発明へと進んでいこうとは夢にも思っていませんでした。「そう!」 風船爆弾の発想は、土佐和紙で作られた大凧からだったのです。

 昭和18年のある日、土佐和紙の製造工場だった私の家に、軍属を名乗る二人の人物が訪ねて来て、工場長だった父と面会しました。父は多くを語りませんでしたが、横須賀の陸軍技術研究所で、開発が進んでいる「風船爆弾」の巨大な風船を作るために「和紙を提供する様に」と言う依頼だったようです。高知市の上町には5軒ほどの製紙工場が軒を並べて営業しており、すべての工場が、強い和紙の提供に踏み切ったのでした。終戦前の1944年頃には、北関東の海岸の基地から約2,000発の風船爆弾が、偏西風に乗ってアメリカ大陸に飛んでいったという記録が残されています。
 
(写真は上町2丁目の鏡川畔から見た筆山)

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