1940年、太平洋戦争が勃発する寸前の秋の夜だった。急にサイレンが短い尾を曳いて鳴り始めて目が覚めた。父が「勉、起きろ!火事だ」と叫んだ。寝ていた二階の北の雨戸をあけたが、近くには火事らしい赤い光は見えなかった。

 自宅から東北に道路をまたいで100mほどの位置に我が家の製紙工場の高い煙突が
立っていた。その上に、あたかも煙の様な白い光が立ち昇っていた。明け方の空は晴れて、雲一つなかった。ものすごい星空で、小さな流星がチカチカと常に活動している様子だった。
 初めて観る満天の星空であった。当時は人口18万の高知市の空に、この様な凄い星空があった。今の芸西でも滅多に見る事の出来ない宇宙の輝きであった。
 後で考えて見ると、このころ倉敷天文台の岡林さんと、鳥取県在住の本田さんが、同時に新彗星を発見して「岡林・本田彗星」の誕生を見た。当時の土陽新聞(高知新聞の前身)に大きく報道されたばかりであった。今の様な光害の全くない星空の下で観測していた当時の天文家は幸せであったと思う。

 また時を同じくして、「カニンガム彗星」という明るい彗星が夕方の「わし座」に出現し
て当時の「小学生新聞」に発表された。ちょうど推理小説家の海野十三氏が「火星兵団」という科学空想小説を連載していた時で、大いに注目された。
 小説の中で登場する「モーロー彗星」は、地球と衝突する運命となるが、カニンガム彗星の方は3〜4等星として輝き、科学の好きな子供たちを喜ばせた。

 火星人と地球の科学者たちとの闘争を描いた「火星兵団」は実に面白く、当時の
小学生たちの話題になり宇宙熱を煽った。海野は宇宙船の窓から見た青い地球の姿を初めて宇宙を飛んだロシアの「ガガーリン」より先に、小説の世界で「地球は青かった」と絶句した。
 そして地球と衝突するはずの「モーロー彗星」が月の引力「摂動」によって、きわどく衝突を回避するあたり、海野は流石科学者であった。
 私の小学時代はこうした宇宙の出来事でいっぱいであった。しかし本当の宇宙との出逢いは、また違った妙なところから生まれるのである。

(写真は1940年10月のカニンガム彗星1940R2のイメージ)
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