アメリカ大陸を横断する世紀の大日食は、各地で悲喜こもごも成功したようです。我々の芸西天文台でも松木、大庭の二人の講師が遠征して、幸い晴天に恵まれ、予定されていた観測スケジュールをこなしました。
実は私も天文を始めるようになった動機の一つに、1948年の二つの日食がありました。その一つは5月に北海道の礼文島で起こった金環日食で、世界中から多くの学者や観測者が集まって来ました。もう一つは、同じ年の11月1日、アフリカ大陸で見られた皆既日食で、この時、意外な珍客が観測されたのでした。
それは皆既中のコロナのそばに彗星が見えたのです。発見者が多かったために、個人の名は付けられず、単に「日食彗星」と呼ばれるようになりました。この彗星は11月の中旬になって太陽から離れ、明け方の空に低く漂う事になりました。高校生だった私は小さな望遠鏡を作って振り回したのですが、所詮素人の事、思うように彗星は見えてくれませんでした。
それから何年か経って、東京天文台長の広瀬秀雄博士が「星を見つめて」というテーマで、NHKのラジオで放送されました。それは1948年5月に礼文島で起きた金環日食の予報のお話で、外国で計算された予報が1kmも北にずれていたのを、日食の起こる直前に発見し、観測隊を南に1km移動させ、”広瀬流”の理論によって、無事観測を成功させた話でした。
その放送を聞いて、天文学は、ただ見るだけではなく、奥深い理論の世界があることを知りました。天文学の道に入った私は、彗星を捜索するだけではなく、彗星や小惑星の軌道や位置の予報を計算したり、日食や月食の予報に没頭した時代がありました。そうした下積みを経て、1961年になって、ようやく新彗星の発見へと進展して行くのです。
(写真は1882年5月17日の皆既日食の時偶然見られた彗星で、その後消息を絶った。この1882年にはクロイツ族の彗星が出現しているが、全く無関係である)


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実は私も天文を始めるようになった動機の一つに、1948年の二つの日食がありました。その一つは5月に北海道の礼文島で起こった金環日食で、世界中から多くの学者や観測者が集まって来ました。もう一つは、同じ年の11月1日、アフリカ大陸で見られた皆既日食で、この時、意外な珍客が観測されたのでした。
それは皆既中のコロナのそばに彗星が見えたのです。発見者が多かったために、個人の名は付けられず、単に「日食彗星」と呼ばれるようになりました。この彗星は11月の中旬になって太陽から離れ、明け方の空に低く漂う事になりました。高校生だった私は小さな望遠鏡を作って振り回したのですが、所詮素人の事、思うように彗星は見えてくれませんでした。
それから何年か経って、東京天文台長の広瀬秀雄博士が「星を見つめて」というテーマで、NHKのラジオで放送されました。それは1948年5月に礼文島で起きた金環日食の予報のお話で、外国で計算された予報が1kmも北にずれていたのを、日食の起こる直前に発見し、観測隊を南に1km移動させ、”広瀬流”の理論によって、無事観測を成功させた話でした。
その放送を聞いて、天文学は、ただ見るだけではなく、奥深い理論の世界があることを知りました。天文学の道に入った私は、彗星を捜索するだけではなく、彗星や小惑星の軌道や位置の予報を計算したり、日食や月食の予報に没頭した時代がありました。そうした下積みを経て、1961年になって、ようやく新彗星の発見へと進展して行くのです。
(写真は1882年5月17日の皆既日食の時偶然見られた彗星で、その後消息を絶った。この1882年にはクロイツ族の彗星が出現しているが、全く無関係である)

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