本当の梅雨明けはセミが知っていました。見事な青空が市街の上に輝き、今まで沈黙していたセミが一斉に鳴きだしました。
6月にろくに雨が降らずに、梅雨前線も遠くなったものですから、異例のはやさで梅雨明けが発表されましたが、こんな時は7月になって大雨がぶり返すものです。過去にも、これに似た例がありました。いつも7月の20日ごろ梅雨が明けていたようです。
1961年の7月21日、梅雨が明けた早々に、高知県の香美市の「梶ヶ森」という海抜1400mの山に登りました。そして中腹のお寺に宿泊しました。この日、土佐山田高校の時久という先生に会い、翌日は午前3時に山頂を目指しました。進さんという息子さんと一緒でした。眼下の吉野川の上は見事な雲海でした。それが、刻々変化しながら午前4時の夜明けを迎えました。正に躍動する、神羅万象です。
それから2年経って私は初めて新彗星を発見しました。私の名前も知らなかったはずの時久先生から、早々に祝電が来ました。山ではただチラと天文のお話をしたかもしれません。1961年10月の事でした。晴れた夏空に、60年昔の思い出が鮮明に蘇りました。
(写真は梅雨明けの鏡川畔にて)
にほんブログ村
6月にろくに雨が降らずに、梅雨前線も遠くなったものですから、異例のはやさで梅雨明けが発表されましたが、こんな時は7月になって大雨がぶり返すものです。過去にも、これに似た例がありました。いつも7月の20日ごろ梅雨が明けていたようです。
1961年の7月21日、梅雨が明けた早々に、高知県の香美市の「梶ヶ森」という海抜1400mの山に登りました。そして中腹のお寺に宿泊しました。この日、土佐山田高校の時久という先生に会い、翌日は午前3時に山頂を目指しました。進さんという息子さんと一緒でした。眼下の吉野川の上は見事な雲海でした。それが、刻々変化しながら午前4時の夜明けを迎えました。正に躍動する、神羅万象です。
それから2年経って私は初めて新彗星を発見しました。私の名前も知らなかったはずの時久先生から、早々に祝電が来ました。山ではただチラと天文のお話をしたかもしれません。1961年10月の事でした。晴れた夏空に、60年昔の思い出が鮮明に蘇りました。
(写真は梅雨明けの鏡川畔にて)
にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。