昭和19年の7月。夢だったのか、現実だったのか南の戦線ラバウルから3機の特攻機が飛び立って行ったのを見た。関大尉の率いる特攻機だった。特攻第一号で国内では大変な話題を呼んだ。特攻後、関大尉は「大佐」に昇格した。
 その日から20年も経ったある日、私は音楽関係の門下生に用事があって、高知市内の中久万という町を訪ねて行った。同じ名の門札があったので、声をかけると、まったくの人違いで70歳くらいの精悍な顔をした小柄な老人がでてきた。わけを話すと、「ま、せっかくだからあがれ」という。色々と話を聞いていると、その老人は「関大佐」と同じ航空隊にいたただ一人の生き残りであるという。戦時中の南方での空中戦での秘話をいろいろと語ってくれた。空中戦では、目が絶対に良くなくてはならないこと。早く敵の機影を発見して太陽の方向に位置をとる事。そして、敵にとって、まぶしい太陽の方角から一気に攻撃をするそうである。昔の隊長ならぬ同じ”関”に、話が思わず、はずんだものであろう。

 高知県では数少ない実戦での生き残りの特攻隊員だったそうであるが、そのひとが書いた「雲上快晴」と言う本をプレゼントして下さった。空中戦での秘話が多く書かれていたが、夢だったのか、現実だったのか、今その本が見つからない。私と一緒に久万を尋ねたはずの妻が、「そんな話は全く記憶にない」と言う。確か久万川の北側の立派な昔風の家であったが、今尋ねても見つからない。(いや、あれはたしかに夢ではなく現実であった)と、証拠の本を本棚から探している。

 疲れて、ふと空を見ると、一条の飛行雲らしい雲が、昔を回顧するがごとく、延々と南方の空に向かっていた。


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