1946年の南海大震災から71年が経ち、そろそろ次の地震が心配されています。約100年を周期としてやって来る南海地震は、平均で行けば後30年後、という事になります。しかし短い場合も起こりうることですから、常に万全の準備が必要です。

前回は不幸なことに戦時中でした。国民が戦う事に懸命で、地震にまで手が回らなかったのでしょう。安政の大震災から、そろそろ100年になろうというのに、政府もマスコミもそういった話に熱心ではありませんでした。ただ中学の国語の先生だけがその問題を取り上げて、現在室戸岬の海底が持ち上がりつつあり、いつ地震が発生してもおかしくない状況である。と説明して多くの生徒たちを戦慄させました。

その田村先生の予言から正確に2年後の1946年に、大地震が発生したことになります。無論地震に対する防備は全くできていません。心の準備もありません。ただ突然襲ってきた天災に県民はなすすべもありませんでした。

高知県出身の光学会社の五藤斎三氏は、1975年頃帰郷して、安政元年の南海大地震の記録を発見しました。それは前にお話しした”孕のジャン”の舞台になっている桂浜の御畳瀬にある、稲荷神社の鳥居の柱に彫り込まれた記録で、

「・・・・今後地震の起こりし時には津波の襲来することを心得べし・・・・」


とあります。村の庄屋が掘ったもので、その後、五藤氏の進言によって、高知市で
は大切な記念物として取り扱うようになりました。

神社は海抜20mほどの高台にあって、その境内から貝殻が発見されたことは、地震の際の津波は20mを越えていたことになります。

(写真は稲荷神社の安政大地震の津波の記録された鳥居の前に立つ五藤氏夫妻)
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