あれは1951年の秋も深くなった11月だった。夜開け前の東北天を水平捜索していた私は、午前4時30分に「牛飼い座」の一角に、白く輝く10等級の彗星らしい天体を捉えた。望遠鏡は口径10cmの反射鏡を自分で組み立てたもので、当時流行した”シーソータイプ”と呼ばれる奇妙な形をしていた。倍率は25x、視野は1.5度である。視直径は3分角ほどで純白の美しい天体であった。早速手元の「村上星図」を見ると、そこに鮮やかな星雲の記号があった。失望した私は視野を捨てすぐ次の目標に向かって移動した。

 それから1年経って、再び同じ場所が視野にはいってきた。昔の残念を想い起こしながら、その付近を探したが全く見つからなかった。それは本物の彗星であって、移動していったのだ。小さな望遠鏡では見えない暗い星団か星雲があって、たまたま新彗星と一致していたのだ。やはり始めたばかりの新前のやる単純なミスであった。ベテランになってくると、こうしたミスは少なくなっていくのだが、どんな大家もこうした経験を持つものである。
 ミスで最も多いのが、ゴースト(幽霊)と言われる、明るい恒星のそばに見える彗星像である。私は、このゴーストを見誤ったことは無いが、大先輩の本田さんは新前の頃、彗星そっくりのゴーストを見て天文台に報告したという。

 私のコメットシーカーは鏡以外は全自作で、5年ほど使用した。その間に多くの彗星と間違いやすい星団、星雲を観測して記録して行った。私の1961年の彗星発見の基礎を支えてくれた大事な望遠鏡であった。10cmでFは10で、京都のある工場が大量生産したもので、ただの球面鏡であるがFを長くしてあるので、収差はそれほど目立たなかった。1952年に起こった24P/ショウマス彗星の活劇?(大増光)を発見と言う手柄を立てた望遠鏡であった。またそのころ発見された、ペルテア彗星を日本で最初に観測し貢献した。
 それから数年、ある日、奇妙な男が現れた。「彗星を発見したいので10cm鏡を譲ってほしい」という。私もそろそろ15cm鏡「木辺鏡」に取り換えようと思っていたので彼の熱心さにうごかされて譲った。 あの時の10cm鏡は今いずこにあって、星を映しているであろうか?

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