時あたかも春爛漫の5月。上町の自宅中庭に設置した観測台に上がった私は、ようやく明け染めんとする東南の低空を一心に見つめていた。時刻は午前4時半。東南に低く見えている筆山の峯がわずかに白く染まっていた。その薄明の中に、私は、先刻から彗星状の白くボウッと光る、怪しい天体を望遠鏡で捉えていた。(新彗星かもしれぬ)私の記憶にも、傍らのノルトン星図にも、そのような天体の記録は無かった。
 
 やがて10分が経過し、怪しい天体のスケッチが終わると、突然15mほど離れた北の玄関の門戸が、「ドンドン」と激しく鳴りだした。
 「関さーん、とうとうやった! ここを開けてくれたまへ」と連呼している。慌てて外に出て見ると、その怪しい男は、数か月前に突然現れて、私の10cm反射望遠鏡を譲り受けて行った、色の黒い「池」と言う、眼の「ギョロッ」とした男だった。「関さん、やぎ座に彗星を発見した。確認してくれたまへ」と、一層ドングリ目を大きく開いて言う。
 私は、どうやら(これは先刻私が見つけた天体と同じものを見た)と思った。そして悦ぶよりも幽かな落胆の方がが先に立った。なぜなら、新前で最初から見事に発見した例は極めて少なかったからだ。最初は大概が見事な失敗談だった。
 薄明はさらに進んで、新天体はもはや白い光にのみこまれている。とりあえず、私の書斎に上がってもらって、詳しい「ボン星図」で、天体の位置を調べて、至急電報を三鷹の「東京天文台」に送った。欧文による、万国共通の暗号電報である。彗星の名は”イケ・セキ彗星”であった。池氏は10等と言っていたが、私は少し明るく8−9等星と見た。
 
 さて、その翌朝である。三鷹の東京天文台から至急電報が返ってきた。私はその電文を見ておどろいた。
 「ハッケンサレタテンタイハ コップスイセイデス」の文字が私の眼に焼き付いた。やはり杞憂と思っていたことが現実となって表れた。しかし私は、天文台に打電する時に、その周辺には明るい彗星は無い事を確かめてあった。(これはどうしたことであろう?)と思って大英天文協会の「天文ハンドブック1964」をみると確かに、我々が発見した位置に「コップ彗星」と言う6年余の周期彗星の予報がある。しかし光度は暗く14−15等星となっていて、眼視で到底観測出来る筈はない。結局我々の発見は予報より、100倍以上も爆発的に明るくなったコップ彗星を見誤ったこととなった。
 この異常現象に天文台の広瀬秀雄台長は重きを置いて、我々の観測をスミソニアンに電報で報告した。
 問題の22P/Kopffはその後の何回かの回帰の時、爆発的に明るくなることは無かった。永い歳月で、われわれが発見した1964年の時だけ、異常爆発していたことになる。しかしあれは本当にコップ彗星だったろうか? 確かにスケッチした位置の近くにコップ彗星がいた。もしかして本物の彗星が、コップ彗星の近くに現れて、べつのコースをたどって消えて行ったのではなかろうか? コップ彗星と言われて、その後の観測を中止したが、当時のスケッチによる眼視観測は不正確だっただけに、その疑問は月と共に年と共に、深くなっていくのである。


(写真は中庭の観測台で”ヤマサキ式コメットシーカーを操る筆者。10cm池谷鏡)

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