観測所が自宅にあるという事はとにかく便利だった。1965年9月の「イケヤ・セキ彗星」発見の時など、夜明け寸前に飛び起きて中庭の観測台に駈け上がり発見した。しかしコメットシーカーは口径僅かに9cmの短焦点鏡だったので、精密な位置観測の精度に欠けていた。スケッチによる位置表示も数分角の誤差があり、二人のわずかな時間差によっても、その正確な運動方向を割り出すには至らなかった。そこで考え出したのが、発見直後の別の赤道儀による観測である。赤道儀があれば、直ちに写真に撮ることによって正しい位置が測定できるのである。
 
 1965年の「イケヤ・セキ彗星」発見後に組み立てたのが、元々眼視用に使っていた、口径15cm、F6.3の反射鏡であった。この赤道儀は、しばらく物干し天文台で活躍していたが、1972年頃に新しくできた芸西観測所に移転した。そして良好な星空の下に初めて発見、検出したのが15P/Finlayであった。15等星であったが、明け方の超低空での空の良さが勝負を決めた。このころ、岡山の国立天文台では、冨田弘一郎氏が、大口径鏡で捜索していたが、超低空のために望遠鏡が向かなかったという。

 アマチュアによる周期彗星の検出は極めて少ない。1937年の清水真一氏と、東京天文台の広瀬秀雄博士のコンビによる33P/Danielの発見。そして大阪の百済教ユ氏の自らの摂動計算と観測によるテンペル第2彗星の検出等である。特に百済氏の発見は繁華な大阪御堂筋の自宅での、自作の屈折鏡によるもので、レンズは20cmのシングル玉であったという(神田茂氏談)。百済氏は山本一清氏に次ぐ東亜天文学会の2代目の会長を務めた天体軌道論の碩学である。この百済氏から1974年の「フインレイ彗星」検出の表彰を戴いたことは光栄であった。

(写真は捜索用の12cm双眼望遠鏡と、口径22cmの反射赤道儀)

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