キューバの作曲家「ホセ・ミシェル・カレヨ」によって、”池谷・関彗星の曲”が作曲され、地元のキューバで演奏されてから、その録音を度々聞きながら私は天文台で観測していた。”太陽を掠めるグループ”の彗星は、顕著なものでは1843 D1(3月の大彗星)、1882 R1 9月の大彗星(核が4つに分裂し、周期はそれぞれ669年、759年、874年、952年)などがあるが、今回の”池谷・関彗星”では、核は二つに分裂し、周期は880年となった。恐らく今度帰って来る時には、独立した二つの彗星となって、何年かの間隔を置いて現れるのではないか?と思われる。
ソナタ形式で書かれたカレヨの曲は二つのテーマ(彗星)が空を乱舞しているように見える。そして太陽面突入と言う衝撃的な現象が、不協和音で表現されている様に聞こえる。作曲家カレヨは、はたしてそれを意識して作曲したのか、非常に興味深く思われる。カレヨは、この曲が演奏されることなく世を去った。しかし彼の魂は何時までも楽譜の中に生きていると思う。
ある蒸し暑い6月の夜の事だった。カレヨの曲を聴きながら観測していると、観測室の北の硝子戸が一枚開いているのに気がついた。暗い夜がのぞいている。夏の夜と言えば怪談である。誰かがその窓からのぞくのではないか?と気になりながら、なおも観測していると、「コトリ」と音がした。そして現実に開いた窓から顔がのぞいたのである。
私は慄然とした。それは外国人らしい年取った怖い顔であった。「カレヨだ!」ホセ・カレヨが天文台にやってきたのだ。
しかしそれは夏の夜の夢だった。天文台の壁にかけてあるカレヨの晩年の写真が、じっと私を見つめていた。
(写真は、晩年のキューバの作曲家、ホセ・ミシェル・カレヨ氏)


にほんブログ村
ソナタ形式で書かれたカレヨの曲は二つのテーマ(彗星)が空を乱舞しているように見える。そして太陽面突入と言う衝撃的な現象が、不協和音で表現されている様に聞こえる。作曲家カレヨは、はたしてそれを意識して作曲したのか、非常に興味深く思われる。カレヨは、この曲が演奏されることなく世を去った。しかし彼の魂は何時までも楽譜の中に生きていると思う。
ある蒸し暑い6月の夜の事だった。カレヨの曲を聴きながら観測していると、観測室の北の硝子戸が一枚開いているのに気がついた。暗い夜がのぞいている。夏の夜と言えば怪談である。誰かがその窓からのぞくのではないか?と気になりながら、なおも観測していると、「コトリ」と音がした。そして現実に開いた窓から顔がのぞいたのである。
私は慄然とした。それは外国人らしい年取った怖い顔であった。「カレヨだ!」ホセ・カレヨが天文台にやってきたのだ。
しかしそれは夏の夜の夢だった。天文台の壁にかけてあるカレヨの晩年の写真が、じっと私を見つめていた。
(写真は、晩年のキューバの作曲家、ホセ・ミシェル・カレヨ氏)


にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。