今日10月21日も57年前の10月21日のように快晴の美しい空となりました。彗星は、半日前の20日、ハワイの観測所でばらばらに砕け散ったことがAP電で報じられ、落胆していたのですが、どうしたことか、本物は朝のすがすがしい青空をバックに、白い短かい尾を引きながら21日の正午過ぎの近日点へと、飛翔を続けていたのです。
 その様子を終始見つめていた、倉敷天文台の本田実技官は、「彗星は満月の明るさ。そして太陽面突入時には、満月の数十倍の明るさになった」と報じ、マスコミの紙面で報道されました。
 
 クロイツ群の彗星は、まるで太陽にかかった首飾りのように、太陽を取り巻いて周期は数百年で太陽を公転しています。その「首飾り」の宝石の一つ一つが彗星と思えば良いのですが、その間隔は数年から数十年と考えられます。中には小さなものも、大きな核を持った彗星もあるわけで、小さな核の彗星は、常に太陽面のコロナの高熱「摂氏100万度以上」で、瞬時にして爆発消滅しているわけです。それらの現象は頻繁に起こっているのですが、白昼の事で、地上から見えないのです。最近、うち挙げられた太陽観測衛星によって、頻繁に捉えられていることが分かりました。

「イケヤ・セキ彗星」は、その中で特別に大きいものでしたが、如何せん彗星の物質の大半は氷で出来ています。当時はアメリカとロシアの科学者によって意見が二つに割れました。ロシアの説では、彗星が近日点に近くなると、太陽表面に接触して爆発消滅する、となっていました。しかし、実際には太陽面から、約30万キロのところを通過して、太陽コロナの100万度の洗礼を受けたことになります。「池谷・関彗星」が、太陽コロナの超高熱の中を潜り抜け”20世紀最大の彗星”と言われるようになったのは、正に奇跡中の奇跡でした。
 57年前の今日は世界中の科学に関心のある人が空を仰ぎ、ある途上国では、彗星による厄除け祭をやったり、またキューバではある作曲家が、「イケヤ・セキ彗星の曲」を作曲してオーケストラで演奏しました。
 余談ですが、10月30日の高知市、自由民権会館での講演会では、その曲が専門家によって演奏、披露されることになっています。事実上の、日本初演です。

(1965年10月21日、彗星の太陽面突入で発見者の家に集まった報道関係者)

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