☆☆コメットシーカーと私(2)☆☆
 戦後の明星「ホンダ彗星」


 暗澹たる終戦直後の1947年と、1948年に連続して新彗星を発見した本田実氏は1復員兵であった。上等兵として、従軍していた本田氏は、内地の慧(さとる)夫人から送られた小さな屈折望遠鏡で、南十字の輝く南天に奇しくも新彗星らしい天体を発見した。気象台出身の上官の寛大な措置によって、発見は早速東京天文台に通報された。当時の読売新聞に「戦場でも科学する日本兵」として、大きく報道された。夫の無事を知った慧夫人は、望遠鏡を送った甲斐があった、と涙を流して喜んだ。屈折望遠鏡はレンズの研磨で有名な木辺氏の手製であったという。
 このころ、東京天文台に努めていた彗星研究の大家、神田茂氏は、この彗星が短周期の「グリグ-シエレルップ彗星」であることを突き止めた。

 終戦から3年後に南方から引き揚げてきた本田氏は、広島県の瀬戸村に落ち着いた。ここでお百姓をしながら、夜は天体観測に精進した。この時本田氏は、親友の木辺成磨氏が研磨した口径15cmの反射望遠鏡を使用していた。反射鏡は回転放物面に仕上げなくてはならないので、機械による大量生産はできない。それぞれ会得した技術で、手磨きで仕上げるのである。日本には、昔から中村要氏や、山崎正光氏、
それに九州の星野次郎氏らが有名で、多くの反射鏡を研磨した。

 ところが本田氏がまだ駆け出しの頃(1940年9月中旬)、鳥取県で彗星を捜索中に、南天で東に移動する非常に速度の速い彗星を発見した。これは地球に大接近した彗星で、地球の進行を追いぬくように東の太陽方向に向かっていた。結局行方不明になったが、この時発見に使用されたのが「坂本鏡」であったという。この鏡は本田氏亡きあと、私が倉敷天文台の倉庫の中で発見した。口径は105mmで、裏に「坂本」の鮮やかなサインがあった。この記念すべき鏡は、惜しい事に天文台の管理人が変わり、ドームが取り壊された時に散逸した。
 それにしてもこの速度の速い天体の正体は一体何だったのだろう。それから70年も経って、同じような奇怪な天体が、芸西天文台の空に現れようとは、まったく夢にも思わなかったのである。

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