☆☆コメットシーカーと私(3)☆☆
シーソータイプの望遠鏡
前回、写真で紹介した私の自作第2の望遠鏡は「シーソータイプ」と呼ばれ、一時期大流行した。何しろチューブレスで、工作が簡単だったからである。
虫メガネのレンズではものたりなくなって、コメットシーカーとして、彗星を発見する目的で口径10cmの反射鏡を京都のあるメーカーに発注した。半年も待って出来上がってきたものは中古品らしく、1年以上昔のサインがしてあった。この時代は悪徳メーカーがはびこった時代で、真面目に向学心に燃えて天文を学ぼうとしていた人の足を引っ張った。
10cmの鏡面は、規定より薄く、しかもただの球面鏡だった。メーカーは大量に研磨するので機械では球面にしか仕上がらなかったのである。そのために焦点距離を長くとって(F10)収差の軽減を図ったのである。
コメットシーカーは短焦点が普通である。あまり焦点が長いと、観測者が振り回される。ケルナ―40mmのアイピースを付けたこの第2号の反射式コメットシーカーは25xで視野は1.5度。それから約4年間を私と共にあって宇宙を探求し、様々な貴重な経験をえた。
宇宙に散在する、彗星とよく似た天体を記録していって、いわゆる「関カタログ」が完成したのである。ちょっとした微光星の集まりが、漠然として、彗星に見える。そうした天体をことごとく星図に記入した。いつ彗星が発見できてもおかしくない。しかし、それは人間としての限界があった。20歳代の若き日々を、ただ観測1点に費やしてきた私は1950年の開始から10年にして、ついについえ去る時がやって来たのである。
今思えば、私は彗星観測の敗北者だった。そして、人間としての理想や希望を失った落胆の日々が続いて行ったのである。”奇跡の生還”それは一体どこからやって来たのだろう。それは、落胆した日々にその秘密があった。
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前回、写真で紹介した私の自作第2の望遠鏡は「シーソータイプ」と呼ばれ、一時期大流行した。何しろチューブレスで、工作が簡単だったからである。
虫メガネのレンズではものたりなくなって、コメットシーカーとして、彗星を発見する目的で口径10cmの反射鏡を京都のあるメーカーに発注した。半年も待って出来上がってきたものは中古品らしく、1年以上昔のサインがしてあった。この時代は悪徳メーカーがはびこった時代で、真面目に向学心に燃えて天文を学ぼうとしていた人の足を引っ張った。
10cmの鏡面は、規定より薄く、しかもただの球面鏡だった。メーカーは大量に研磨するので機械では球面にしか仕上がらなかったのである。そのために焦点距離を長くとって(F10)収差の軽減を図ったのである。
コメットシーカーは短焦点が普通である。あまり焦点が長いと、観測者が振り回される。ケルナ―40mmのアイピースを付けたこの第2号の反射式コメットシーカーは25xで視野は1.5度。それから約4年間を私と共にあって宇宙を探求し、様々な貴重な経験をえた。
宇宙に散在する、彗星とよく似た天体を記録していって、いわゆる「関カタログ」が完成したのである。ちょっとした微光星の集まりが、漠然として、彗星に見える。そうした天体をことごとく星図に記入した。いつ彗星が発見できてもおかしくない。しかし、それは人間としての限界があった。20歳代の若き日々を、ただ観測1点に費やしてきた私は1950年の開始から10年にして、ついについえ去る時がやって来たのである。
今思えば、私は彗星観測の敗北者だった。そして、人間としての理想や希望を失った落胆の日々が続いて行ったのである。”奇跡の生還”それは一体どこからやって来たのだろう。それは、落胆した日々にその秘密があった。
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