☆☆コメットシーカーと私(5)☆☆
ペルチャー彗星

 20世紀の初めごろから活躍し、10個以上の新彗星を発見したアメリカの
ペルチャーは、代表的なコメットハンターだった。1950年にこぐま座の中で10等級の彗星を発見した時、駆け出しだった私も10cmの反射望遠鏡で発見したが、彼の発見から数日が経っており、独立発見はみとめられなかった。この事は当時の山本一清博士の発行する「山本天文速報」に出ている。
 発見は先に写真で紹介した口径10cmの、シーソータイプの全自作の反射望遠鏡であった。
 10等星の彗星というと明るいようであるが、当時の日本では、これを満足に観測できる天文台はすくなかった。まず倉敷天文台の本田氏は、観測に失敗し、花山天文台の三谷氏が、かろうじて口径15cmのアストロカメラで映し止めた。当時のガラス乾板も今のISO感度でいえば32以下であった。眼視で見えるものを写し止めるのに30分もかかった。
 
 アメリカのペルチャー氏は、19世紀から20世紀にかけて、彗星界を代表するコメットハンターで自宅の庭に完璧な彗星の捜索台を建設して、一晩に5〜6時間も立てこもって観測したそうである。多くの彗星発見のほかに、優れた変光星の観測者でもあって、1950年頃、ハーバード大学から名誉博士号が贈られた。彼の著書「星輝く夜」は有名で、後から出た「未知の星を求めて」とよく比較された。彼の妻は1910年5月中旬のハレー彗星の大接近で、彗星の尾が、すっぽりと地球を包んでいるとき時、生まれたそうである。

 その後アメリカでは1960年代になってエバハート博士が、独創的なコメットシーカーを作って、複数の彗星を発見したが、学者での眼視彗星の発見は極めて珍しい。いまは大口径鏡によって、20等以下の彗星が発見されることが常識となったが、眼視的に多くの発見を競った時代こそ、アマチュアの輝きだったのである。
「発見した彗星に自分の名がついて永遠に宇宙に輝く」その夢はまだ頭上に輝いている!! 

(写真は、エバハート博士と自作のコメットシーカー) 

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