東亜天文学会の彗星課から、毎年発行されている「彗星年表」は、1960年代の終り頃から発足した。当時京都大学の大学院生だった古川麒一郎氏。東亜天文学会の計算課に籍を置いていた長谷川一郎氏。それと同じく東亜天文学会の彗星課にいた私(関)が話し合って、主に国内の彗星観測者のために便利な彗星の位置予報集を発行することになった。計算は、のち東京天文台に入った古川博士が、長谷川氏の勤めていた、東京のある貿易会社の高速電子計算機を駆使して、あらゆる彗星の膨大な位置推算表を計算した。印刷製本は東亜天文学会の彗星課が受け持ち200ページ近い書籍として毎年発行した。
彗星は、年内に見えそうなあらゆる彗星を網羅したので、夥しい数となった。軌道計算者はその後中野主一氏、村岡健治氏と受け継がれ、約30年を経過。いまは東亜天文学会の彗星課長を務める福島県の佐藤裕久氏が担当している。
佐藤氏は国内で主にアマチュアによって観測される彗星の位置観測から、こまめに各彗星の軌道改良を行い、最も正しい数値の位置予報を計算し、毎年「彗星年表」としてWeb、発行を行っている。正に「葉隠れ」の知られざる大変複雑で精密な作業である。無論外国の研究機関でも見られるが、私が書物で発行していたころは「コメット・ビュレテイン」と共に、スミソニアンのマースデン博士や台北市立天文台の蔡章献台長、それに今紛争のさなかにある、ウクライナの天文台の二人の学者にも送っていた。
添付した本の見本は、1996年に発行されたもので、全190ページ。裏表紙には芸西の60cmでキャッチした122P(デビコ大彗星)の珍しい写真が出ている。このころは淡路島で「エンケ薬局」を営んでいた中野主一氏が計算を担当していた。内容は恐ろしいほどの数値の整列である。このころ、彗星の眼視での発見者を多く輩出したのも、こうした出版物が影響していたと思う。正に縁の下の力持ち(立役者?)である。
※「彗星年表2023」ベータ版公開
https://www.comet-web.net/~chb/chb/chb2023_web_beta.pdf
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彗星は、年内に見えそうなあらゆる彗星を網羅したので、夥しい数となった。軌道計算者はその後中野主一氏、村岡健治氏と受け継がれ、約30年を経過。いまは東亜天文学会の彗星課長を務める福島県の佐藤裕久氏が担当している。
佐藤氏は国内で主にアマチュアによって観測される彗星の位置観測から、こまめに各彗星の軌道改良を行い、最も正しい数値の位置予報を計算し、毎年「彗星年表」としてWeb、発行を行っている。正に「葉隠れ」の知られざる大変複雑で精密な作業である。無論外国の研究機関でも見られるが、私が書物で発行していたころは「コメット・ビュレテイン」と共に、スミソニアンのマースデン博士や台北市立天文台の蔡章献台長、それに今紛争のさなかにある、ウクライナの天文台の二人の学者にも送っていた。
添付した本の見本は、1996年に発行されたもので、全190ページ。裏表紙には芸西の60cmでキャッチした122P(デビコ大彗星)の珍しい写真が出ている。このころは淡路島で「エンケ薬局」を営んでいた中野主一氏が計算を担当していた。内容は恐ろしいほどの数値の整列である。このころ、彗星の眼視での発見者を多く輩出したのも、こうした出版物が影響していたと思う。正に縁の下の力持ち(立役者?)である。
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