宇宙を探索していると沢山の太陽系天体と遭遇する。そのほとんどは未知の小惑星であって、芸西天文台の60センチ反射望遠鏡時代には優に1,000個を超える小惑星を発見した。しかし、数年にわたる長い追跡観測が完了して、アメリカの小惑星センターから確定番号をもらえたものは222個に過ぎなかった。これらの中には、いくつかの彗星が混じっていたものと確信する。
添付した写真は、1990年10月15日に芸西で発見したもので、センターから(19161)の確定番号がもらえた。よって、高知県の地名の「佐川町」を命名した。天文家の山崎正光氏や植物学者の牧野富太郎博士を生んだ由緒ある町である。日本最古の推理小説家、森下雨村もこの町の出身。そう!あの江戸川乱歩(平井三郎)を育てた先生である。
写真中央にやや斜めに移動している点像が、小惑星で、右下の同じ光度の恒星と比べて見ると、あきらかにその様相を異にしている。輪郭がにじんで、これは彗星独特のイメージである。
小惑星として報告したので、アメリカのセンターでも気が付かなかったであろう。いづれどこかの天文台で確認されて、彗星の仲間入りをする事に期待したい。
発見時のあかるさは、15-16等で、明るい方である。いま小惑星は、20等より明るい発見はほとんどない。中には24-5等と言う驚異的な暗い天体の発見が続いている。 これらが逐次地球や太陽に接近してきて明るくなるのである。それらのいくつかを眼視のコメットハンターが見つけていたことになる。世界のあちこちで、明るい彗星発見の”のろし”を揚げた昔が懐かしいですね。
にほんブログ村
添付した写真は、1990年10月15日に芸西で発見したもので、センターから(19161)の確定番号がもらえた。よって、高知県の地名の「佐川町」を命名した。天文家の山崎正光氏や植物学者の牧野富太郎博士を生んだ由緒ある町である。日本最古の推理小説家、森下雨村もこの町の出身。そう!あの江戸川乱歩(平井三郎)を育てた先生である。
写真中央にやや斜めに移動している点像が、小惑星で、右下の同じ光度の恒星と比べて見ると、あきらかにその様相を異にしている。輪郭がにじんで、これは彗星独特のイメージである。
小惑星として報告したので、アメリカのセンターでも気が付かなかったであろう。いづれどこかの天文台で確認されて、彗星の仲間入りをする事に期待したい。
発見時のあかるさは、15-16等で、明るい方である。いま小惑星は、20等より明るい発見はほとんどない。中には24-5等と言う驚異的な暗い天体の発見が続いている。 これらが逐次地球や太陽に接近してきて明るくなるのである。それらのいくつかを眼視のコメットハンターが見つけていたことになる。世界のあちこちで、明るい彗星発見の”のろし”を揚げた昔が懐かしいですね。
にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。