早春と言うには時期が少し遅いかもしませんが、私は桜の咲き始める頃の早春は好きな季節です。
「怪光」と言うには、聊かオーバーな表現かもしれませんが、この時期には夕方の西の空に”黄道光”が、まるでピラミッドのような形をして、立ち昇るからです。これは春の夕空と秋の明け空に限られ、冬や夏には見えません。その正体は、はっきりと分かっていませんが、私の想像では、太陽系に無数に点在する小惑星の夥しい群れが輝いているのだろうと思います。一つ一つの星は見えませんが、全体としてボーウと、神秘的な光芒を放っているのです。特に芸西村の天文台で見る秋の黄道光は凄い輝きです。彗星の捜索をしていて、この光に随分悩まされたものです。1965年9月の「イケヤ・セキ彗星」は、この光芒の中での発見でした。
芸西村の天文台では30年間に沢山の小惑星を発見してきましたが、それらは、大半が秋から冬にかけてのオポジション(衝)の方向で、春から夏になるとほとんど見つかりません。これは太陽系の中で小惑星の存在する場所が偏っているからで、この傾向は小惑星の成因にもつながる重要な問題です。小惑星はその大半が火星と木星との間の広い空間に存在するのですが、それには大きな偏りがあります。
また、冬の真夜中の衝の位置に見えるボウーとした淡い謎の光芒(対日照)も、無数の小惑星の輝きと考えられます。これらの光(光芒)は非常に暗く、よほど空の良い場所でないと確認できません。1970年頃、私の観測所が光害から逃れて、自宅から40kmほど離れた芸西村に移転した時、この対日衝を初めて発見し、ありありと眺めることが出来ました。折から撮っていた星の写真が、この光芒でカブルかも知れぬ、と心配したほどの明るさです。しかし、それは空が暗かったからで、今では日本列島にこの対日衝の淡い光芒がみられる場所はほとんどなくなったかもしれません。
そうです!芸西村には太古の昔の暗い星空があったのです。ああ、昔の暗い星空が懐かしいですね。
(写真はハレー彗星がやって来たころの1986年、芸西村の天文台で見た対日照の光芒)35mmカメラF1.4標準レンズ。


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「怪光」と言うには、聊かオーバーな表現かもしれませんが、この時期には夕方の西の空に”黄道光”が、まるでピラミッドのような形をして、立ち昇るからです。これは春の夕空と秋の明け空に限られ、冬や夏には見えません。その正体は、はっきりと分かっていませんが、私の想像では、太陽系に無数に点在する小惑星の夥しい群れが輝いているのだろうと思います。一つ一つの星は見えませんが、全体としてボーウと、神秘的な光芒を放っているのです。特に芸西村の天文台で見る秋の黄道光は凄い輝きです。彗星の捜索をしていて、この光に随分悩まされたものです。1965年9月の「イケヤ・セキ彗星」は、この光芒の中での発見でした。
芸西村の天文台では30年間に沢山の小惑星を発見してきましたが、それらは、大半が秋から冬にかけてのオポジション(衝)の方向で、春から夏になるとほとんど見つかりません。これは太陽系の中で小惑星の存在する場所が偏っているからで、この傾向は小惑星の成因にもつながる重要な問題です。小惑星はその大半が火星と木星との間の広い空間に存在するのですが、それには大きな偏りがあります。
また、冬の真夜中の衝の位置に見えるボウーとした淡い謎の光芒(対日照)も、無数の小惑星の輝きと考えられます。これらの光(光芒)は非常に暗く、よほど空の良い場所でないと確認できません。1970年頃、私の観測所が光害から逃れて、自宅から40kmほど離れた芸西村に移転した時、この対日衝を初めて発見し、ありありと眺めることが出来ました。折から撮っていた星の写真が、この光芒でカブルかも知れぬ、と心配したほどの明るさです。しかし、それは空が暗かったからで、今では日本列島にこの対日衝の淡い光芒がみられる場所はほとんどなくなったかもしれません。
そうです!芸西村には太古の昔の暗い星空があったのです。ああ、昔の暗い星空が懐かしいですね。
(写真はハレー彗星がやって来たころの1986年、芸西村の天文台で見た対日照の光芒)35mmカメラF1.4標準レンズ。


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