高知市の上町にある、その名も『竜馬郵便局』である。私の自宅から100mほど東にある。終戦直後くらいには龍馬の生まれた電車道りの家のすぐ隣にあったが、その後移転して現在の場所にきた。「龍馬郵便局」とは比較的最近名乗り出した。伝統的に局長以下、数名の局員が全員女性である、というのも特色である。20年ほど昔に、私はここで天体写真展をやって、多くの写真を出品して室内に掲げた。その中には桂浜の竜馬の銅像の背景に輝いている「ハレー彗星」の珍しい写真もあった。

 竜馬の生まれた新暦の1835年11月15日。かの有名な「ハレー彗星」が近日点を通過した。記録には残っていないが、恐らく上町付近では頭上に長い尾を曳く”ホウキボシ”を見て大騒ぎになった。そのころはまだ彗星を天体として定義せず、宇宙を飛ぶ巨大な怪獣のように考えていた。竜馬の母の「幸」は竜と馬が同時に部屋に飛び込んできた悪夢を見たという。その時生まれてきた男の子は「竜馬」と名付けられた。その名付けのヒントがハレー彗星であったという事は想像に難くないが、その後の歴史家は誰もそれを考えなかった。桂浜の竜馬像は1986年になって、初めて名付けの元となったハレー彗星と対面したのである。

 竜馬は土佐藩でも下級武士であったが、最後の殿様、「山内容堂公」は南蛮渡来の天体望遠鏡を持っていた。ハレー彗星のやって来た時代で、天文に関心のあった容堂公は恐らくハレー彗星を観測したであろうと言われている。戦争をやめて、大政奉還にふみきったのも、宇宙の広大さを知った容堂の心のなせる業であった。
 1986年、その由緒ある武家の天
体望遠鏡を、芸西天文台に持ち出して、折から接近中の大ハレー彗星の観測会を開いたのも、永い天文台の歴史の中で特筆すべき出来事であった。
 容堂公の観たレンズの中の星の世界は青かった。そして150年振りのハレー彗星も、ただ蒼かった。これは当時のレンズ構成の特色であった。

(写真は高知市カミマチの竜馬郵便局)

IMG_3911
にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村