口径88mmのレンズを装備した自作のレンズボックスです。この木製の四角な箱の中から新彗星が飛び出しました。そうです、1961年の関彗星、1962年の関ラインズ彗星、そして怪物の1965年のイケヤ・セキ彗星です。
 写真は、1961年10月11日、暁天のしし座に新彗星らしい謎の光芒を発見し、直ちに東京天文台に打電して、その結果を待っている期待と不安の入り乱れた姿です。彗星捜索を始めて11年。数多の困難を乗り越えてやっとたどり着いた発見であり、男になるのかならないのか、人生の大きな転機でした。

 彗星発見の報は高知市上町の片田舎から、東京天文台を経由して、遠く北欧のコペンハーゲン天文台(天文電報中央局)に発信されました。それは発見の翌日の倉敷天文台の確認観測があったからです。そしてさらにその翌日、写真を撮った本田さんは愕然としました。なんと彗星は移動していないのです。移動こそが、太陽系天体の証拠です。(こんなところに星雲があるはずはない。)位置はしし座のいつも見なれた場所です。本田さんは狐にでもつままれたような気持で、さらに観測を続けました。
 それはどのようなイメージだったのか。発見直後に撮影した、当時としては珍しいカラーの写真が、のち倉敷天文台の中から発見されたのです。

 当時本田さんは東京天文台から支給される手札大のガラス乾板のみを常用してい
ました。カラーとは意外です。モノクロが主流のこの時代に、天体のカラー撮影とは極めて珍しかったのです。本田さんはすでに亡く、その真偽は写真の位置から検討されることになりました。

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