古い写真アルバムを見ていたら、半世紀ほど昔の静岡市での「彗星会議」の写真が目についた。
国内の彗星会議の発端は、1970年、愛知県の小嶋信久氏の天体写真による彗星発見を記念して愛知県の「がまごうり市」で開催された。会議の発起人は長谷川一郎氏、と私(関)の二人だった。1950年代に山本一清博士と長谷川氏の相談で3回ほど開催されているが、それは計算外である。
会議の内容は、アマチュアが如何にして彗星を発見するか、が中心であった。そして、その軌道計算が続いた。今のように彗星の物理は入っていなかったので、内容は簡単で、初心者にもわかりやすくなじめた。外国から、スミソニアンのマースデン博士他の重鎮や、有名なコメットハンターたちを呼んだこともあった。
それから半世紀が経過し、会議の内容も変わってきた。素人による明るい彗星の発見は、ほとんどなくなった。会議では彗星の物理が中心になって、より高度な内容になってきたが、しかし決して専門家ばかりではない。初心者も大いに歓迎しているので、少しでも彗星に関心がある人は参加することをお勧めする。天文雑誌等にも広告が出るが、今回は6月1日、本田さんの活躍していた倉敷天文台で開催される。場所はJRの倉敷駅から南に1kmくらいで、私はいつも駅から歩いてたずねた。近くで道に迷った時、野良猫に案内されて行った事もあった。
天文台では本田さんご夫妻が、優しく接待してくれた。天文台には今も岡林さんや本田さんの魂が宿っている。
(ここを訪ねれば、彗星が発見できる。)私が先輩の魂に誘われて彗星を発見したのは、それから6年後の事であった。
(写真は手前から、長谷川一郎、神田茂、清水真一、広瀬秀夫の各氏)


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国内の彗星会議の発端は、1970年、愛知県の小嶋信久氏の天体写真による彗星発見を記念して愛知県の「がまごうり市」で開催された。会議の発起人は長谷川一郎氏、と私(関)の二人だった。1950年代に山本一清博士と長谷川氏の相談で3回ほど開催されているが、それは計算外である。
会議の内容は、アマチュアが如何にして彗星を発見するか、が中心であった。そして、その軌道計算が続いた。今のように彗星の物理は入っていなかったので、内容は簡単で、初心者にもわかりやすくなじめた。外国から、スミソニアンのマースデン博士他の重鎮や、有名なコメットハンターたちを呼んだこともあった。
それから半世紀が経過し、会議の内容も変わってきた。素人による明るい彗星の発見は、ほとんどなくなった。会議では彗星の物理が中心になって、より高度な内容になってきたが、しかし決して専門家ばかりではない。初心者も大いに歓迎しているので、少しでも彗星に関心がある人は参加することをお勧めする。天文雑誌等にも広告が出るが、今回は6月1日、本田さんの活躍していた倉敷天文台で開催される。場所はJRの倉敷駅から南に1kmくらいで、私はいつも駅から歩いてたずねた。近くで道に迷った時、野良猫に案内されて行った事もあった。
天文台では本田さんご夫妻が、優しく接待してくれた。天文台には今も岡林さんや本田さんの魂が宿っている。
(ここを訪ねれば、彗星が発見できる。)私が先輩の魂に誘われて彗星を発見したのは、それから6年後の事であった。
(写真は手前から、長谷川一郎、神田茂、清水真一、広瀬秀夫の各氏)


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