1955年の「ホンダ彗星」以来の6年ぶりの国内での彗星発見に、天文台は興奮した。東京天文台から次のような丁寧な返電がきた。
 「スイセイハッケン オメデトウゾンジマス クラシキデカクニンノウエ コペンハーゲンニシラセマシタ」
 電報を発進したのは、天体掃索部の下保茂技官ではなかったかと思う。
倉敷天文台では本田氏が発見の翌日から、写真を撮っていたが、モーションが小さく、しかも地球の方向にまっしぐらに進んでいたので、決め手となる移動は小さかった。この頃イギリスのコメットハンター「オルコック」の捜索視野が3度以内のところに迫っていたという。あぶないところであった。本田さんの迅速な確認観測が無かったら、あるいは先行されていたかもしれない。
 本田さんのカラー撮影は国内の彗星としては最初の試みであった。発見から二日後の10月13日の撮影らしい。彗星独特のボーッとした青いコマの中に、白い中心核が鮮やかに写っている。軌道計算では、アメリカのロイッシュナー天文台のカニンガム博士が770年の周期を得たが、太陽系のはるか彼方の、宇宙空間からはるばると旅して、やって来たものであった。
「ああ孤愁ーホウキ星よ」

(写真は、倉敷天文台の本田実氏撮影の セキ彗星1961T1)

IMG_3954
にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村