奇妙な名称の天体カメラが登場しました。高知市から西に20kmほど離れた「土佐市高岡町」に住んで、古くから電気業を営む池幸一氏は大の天文好きでした。1956年の私のクロムメリン彗星の独立発見に刺激されて彗星の捜索を密かに実行していた人です。
彼は眼視より写真捜索が得意で、種々な天体カメラを考案しました。なかでも京都のある光学の専門家と共同で開発した「池−ネオハックスカメラ」は特別に明るい光学系の天体カメラで、有効径は12cm。後ろの反射鏡は30cmある一種のシュミットカメラでした。感材はキャビネのガラス乾板を特殊なコンパスのカッターを使って直径10cmの円板に切り抜くもので、高価な乾板が割れるという失敗が多くありました。カメラのFは3.0と言う明るいものでした。
彼は、土佐市の田舎で、それまで眼視観測で捜索し、さんざん失敗を重ねていました。そんなわけで、今度は眼視より効率の良い写真捜索に切り替えて、心機一転を図ったのでした。
あれは1963年頃だったでしょうか。私は明け方の東南の空を眼視捜索中に、8-9等クラスの彗星らしい光芒を発見しました。中庭の観測台の上で、天体の位置の確認をしていると、突然、表の門戸を何者かがドンドンと激しく叩くのです。出てみると池幸一氏です。顔面蒼白になって「関さん、とうとうやった!」と言って、その場に倒れました。
どうやら、私が眼視で捕らえたものと同じ天体を、自慢のカメラでキャッチして、報告のために軽四に乗って、はるばる高岡から飛ばしてきたようです。息せき切って話す池氏をとにかく二階の書斎にあがってもらって、新天体らしい天体の位置を詳しい星図で調査し、直ちに東京天文台に打電しました。1965年のあの「イケヤ・セキ彗星」より一足先に”イケ・セキ彗星”が登場するはずでしたが、果たして結果は如何??。
(写真は1972年の高知市桂浜での彗星会議で、目隠しをしてガラス乾板を暗室で円形に切り抜く実演をやっている池氏。後ろは長谷川、古川の両氏)
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彼は眼視より写真捜索が得意で、種々な天体カメラを考案しました。なかでも京都のある光学の専門家と共同で開発した「池−ネオハックスカメラ」は特別に明るい光学系の天体カメラで、有効径は12cm。後ろの反射鏡は30cmある一種のシュミットカメラでした。感材はキャビネのガラス乾板を特殊なコンパスのカッターを使って直径10cmの円板に切り抜くもので、高価な乾板が割れるという失敗が多くありました。カメラのFは3.0と言う明るいものでした。
彼は、土佐市の田舎で、それまで眼視観測で捜索し、さんざん失敗を重ねていました。そんなわけで、今度は眼視より効率の良い写真捜索に切り替えて、心機一転を図ったのでした。
あれは1963年頃だったでしょうか。私は明け方の東南の空を眼視捜索中に、8-9等クラスの彗星らしい光芒を発見しました。中庭の観測台の上で、天体の位置の確認をしていると、突然、表の門戸を何者かがドンドンと激しく叩くのです。出てみると池幸一氏です。顔面蒼白になって「関さん、とうとうやった!」と言って、その場に倒れました。
どうやら、私が眼視で捕らえたものと同じ天体を、自慢のカメラでキャッチして、報告のために軽四に乗って、はるばる高岡から飛ばしてきたようです。息せき切って話す池氏をとにかく二階の書斎にあがってもらって、新天体らしい天体の位置を詳しい星図で調査し、直ちに東京天文台に打電しました。1965年のあの「イケヤ・セキ彗星」より一足先に”イケ・セキ彗星”が登場するはずでしたが、果たして結果は如何??。
(写真は1972年の高知市桂浜での彗星会議で、目隠しをしてガラス乾板を暗室で円形に切り抜く実演をやっている池氏。後ろは長谷川、古川の両氏)
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