1964年5月、東京天文台に打電した「イケ−セキ彗星」はその後どうなったのか?天文台から帰ってきた電報は意外なものでした。
「カンソクサレタスイセイハ コップスイセイデス トウキョウテンモンダイ」
 これで、我々の発見した彗星が新彗星ではないことが判明しました。さっそく1964年の大英天文協会の、BAAハンドブックを見ると、確かにその位置に22P/Copffの予報が出ています。しかし光度は13-14等と暗く同じものとは思えないのです。もし同じ天体なら、実に100倍も光度が明るくなっているのです。突発的に爆発したのでしょうか?
 この現象を重く受け止めた東京天文台長の広瀬秀雄博士は、早速、コペンハーゲンの国際天文電報中央局に打電しました。電報は、世界を回りました。

 コップ彗星は周期6年の、昔で言えば、木星族の短周期彗星です。その後、何回か回帰し近日点を通過しましたが、一度も予想外の特別な増光は確認できませんでした。1964年の回帰の時、明らかに彗星の内部に異常が生じたことになります。
 このような例は1952年2月の24P/ショウマス周期彗星の時にも経験しました。13-14等の予報の時、なんと5等級になって、おおぐま座に肉眼に映じたのです。この現象は私だけではなく、イギリスの大英天文協会でも観測し、報じられていました。昔は、日本での彗星の観測者が少なかったのですが、今でしたら多くの観測家に捉えられて、「彗星会議」での大きな話題になったことでしょう。

 池氏の「ネオハックスカメラ」も、こうした彗星の観測に活用されるべき性質のものだったのですが、やはり大切なのは機械ではなく使い手ですね。この珍しいカメラもいつのまにか天文界から消えていきました。カメラの設計者は京都の僧侶、小林義生氏、レンズ研磨は主に滋賀県の特殊光学研究所の苗村敬夫氏。後日苗村氏が私の家に来たとき、このカメラの長所短所について、語り合ったことでした。

 その後、このカメラは今はいずこにあって、星空を映しているのでしょうか? そして、これで
新彗星発見を夢見た池氏の行方は?これにはミステリックな後日譚がありますが、また別の機会にお話しましょう。思い出は日と共に月と共に茫呼としてかすんでゆきます。

(写真は1963年早春の池幸一氏)

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