山本一清博士の主催する、国内第1回の「彗星会議」に参加して博士にはじめてお目にかかったのは今から遠く1954年夏の事であった。
 「彗星会議」は委員会の形を取り、国内の学者や研究者約30人が参加したが、若干24歳の新前の私が参加できたのは奇跡であった。これは「いずれ何かやるであろう」という山本博士の先見であったが、果たしてそれが奏功したかどうか、読者の御判断にお任せしよう。

 土佐の高知で一人孤独で観測に親しんでいた私は、この会議に参加する
ことによって、多くの先輩を知り、また技術を学んだ。無論本田実氏とも初対面であった。そして1961年に念願の”セキ彗星”を発見したが、その時、恩師たる山本博士は他界されていた。
 「博士に喜んでもらいたかった」との強い一念から、私はあえて、発見電報の宛名に「ヤマモト イセイ」と書いて打電した。電報は英子夫人によって博士の霊前に捧げられた。「山本と共に喜びを分かち合いました、、、」と言う、英子夫人の手紙が涙を誘った。(写真は1954-8-31、山本天文台にて)
 日本のアマチュア天文学界に大きな足跡を残した山本博士の事が、またTVで見られる。NHKから下記の日程の連絡があった。
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コッズミックフロント「アマチュア天文家の父山本一清」
7月6日(木)22時から。NHK-BSPとBS4で再放送。 


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