今から78年前の昨日8月6日は、広島市に原爆が投下された日です。毎日快晴の良いお天気が続いていました。私はそのころ旧制の中学1年生で、毎日学徒動員として、高知市の近郊に、本土防衛のための軍事作業に出かけていました。関東軍の指揮下にありましたが、何しろ遊び心の旺盛な少年で、仲良しのクラスメイトと、普段は川や海で泳いで楽しんでいました。
「ピカリ! 危ない 物影へ」
こんな見出しで、地元の高知新聞に原子爆弾投下の事が報道されました。しかし、そのころにはまだ爆弾の正体が、マスコミにも一般にも良くわかっていませんでした。なんでも大変な爆弾が発明されたとて、国民は恐怖におののいていたのです。
その頃、私は高知市大空襲に遭って、父の故郷の米田(ヨネダ)と言う田舎に疎開していました。天文こそまだやっていませんでしたが、毎日昼間は美しい青空と雲が、そして夜は無数の星が瞬いていたのです。天文に興味を持ち始めたのは必然でした。そのころ、戦前から、夜空にはカニンガム彗星、ホイップル彗星、そしてマックガン彗星等、大彗星がぞくぞくと現れて、いやがうえにも私をして星の世界に連れて行ったのです。そして小説の世界では、海野十三の「火星兵団」の新聞連載が大人気で、モーロー彗星が地球に衝突する運命にありました。
1948年11月、マックガン彗星を見るために暁の屋根の上に上がって、父と二人で探したのも懐かしい思い出です。ホウキ星は見えませんでしたが、寒かったことと、星の無類に美しかったことのみが印象に残りました。「そう!”日食彗星”C/1948 V1です。」


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「ピカリ! 危ない 物影へ」
こんな見出しで、地元の高知新聞に原子爆弾投下の事が報道されました。しかし、そのころにはまだ爆弾の正体が、マスコミにも一般にも良くわかっていませんでした。なんでも大変な爆弾が発明されたとて、国民は恐怖におののいていたのです。
その頃、私は高知市大空襲に遭って、父の故郷の米田(ヨネダ)と言う田舎に疎開していました。天文こそまだやっていませんでしたが、毎日昼間は美しい青空と雲が、そして夜は無数の星が瞬いていたのです。天文に興味を持ち始めたのは必然でした。そのころ、戦前から、夜空にはカニンガム彗星、ホイップル彗星、そしてマックガン彗星等、大彗星がぞくぞくと現れて、いやがうえにも私をして星の世界に連れて行ったのです。そして小説の世界では、海野十三の「火星兵団」の新聞連載が大人気で、モーロー彗星が地球に衝突する運命にありました。
1948年11月、マックガン彗星を見るために暁の屋根の上に上がって、父と二人で探したのも懐かしい思い出です。ホウキ星は見えませんでしたが、寒かったことと、星の無類に美しかったことのみが印象に残りました。「そう!”日食彗星”C/1948 V1です。」

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