台風7号が鳥取県を北上中であるが、ここ高知県ではうつくしい夕焼け空が今日も輝いた。昭和20年の終戦の日も、確か良いお天気であった。雨の降った記憶が全くなかった。毎日炎天下で軍事作業に従い、夜は防空壕の中で、しずかな勉強の時を過ごしていた。
疎開先の米田は、大気の澄んだところで、夜は満点の星空であったが、まだ星空との結びつきは無かった。父は米田の山本家の長男であったが、戦前に高知市の関家に養子として入り、戦時中は「関製紙工場」の場長として、終戦まで働いた。
戦後は職業を失い家族は路頭に迷った。そんな混乱期に、突然私の天文学が台頭したのである。
運命と言うものは誠に奇なもの。大戦に遭わなかったら、おそらく私の天体観測は始まっていなかったと思う。
余談であるが、今日は創価大学の先生である伊与田健敏博士が東京から訪ねてきてくださった。なんでもこの先生の御母堂が、40年ほど昔に私にクラシックギターを習っていたそうである。そういえば幽かな記憶があった。ソル作曲の練習曲”月の光”の美しいアルペジオが、どこからともなく聞こえてくるような気がした。
思い出は茫呼としてかすんだが、、、、、。


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疎開先の米田は、大気の澄んだところで、夜は満点の星空であったが、まだ星空との結びつきは無かった。父は米田の山本家の長男であったが、戦前に高知市の関家に養子として入り、戦時中は「関製紙工場」の場長として、終戦まで働いた。
戦後は職業を失い家族は路頭に迷った。そんな混乱期に、突然私の天文学が台頭したのである。
運命と言うものは誠に奇なもの。大戦に遭わなかったら、おそらく私の天体観測は始まっていなかったと思う。
余談であるが、今日は創価大学の先生である伊与田健敏博士が東京から訪ねてきてくださった。なんでもこの先生の御母堂が、40年ほど昔に私にクラシックギターを習っていたそうである。そういえば幽かな記憶があった。ソル作曲の練習曲”月の光”の美しいアルペジオが、どこからともなく聞こえてくるような気がした。
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