芸西天文台の構想は、1977年に高知県の教育長が交代し好転しました。望遠鏡は1979年に完成し、翌1980年に学習館も出来て五藤氏夫妻を始め、高知県では知事や、多くの関係者も参列して開所式がおこなわれました。天文台の一般公開は、当初は週1回という事で、5人の講師が選ばれました。

実はその頃、76年の周期で回帰するハレー彗星が接近しつつありました。そして、世界的な観測の機運が高まる中、望遠鏡を贈った五藤さんの胸中には、高知県で二度目のハレー彗星と対面したいという夢があったのです。
1984年芸西でいち早くハレー彗星をキャッチした時には、病床にあった五藤さんは「高知県に望遠鏡を贈った甲斐がありました」と喜びの笑みを浮かべて私に語ってくれました。

芸西で発見した小惑星に「GOTO」の名が付いたときにも、報告に行きました。これが五藤さんへの最大の恩返しであると思ったからです。その後ハレー彗星は一心同体の留子夫人が芸西で観測し、立派に役目を果されました。

(写真は1977年7月、知事公室での中内知事と五藤氏夫妻。後列に和喰教育長と関。下は芸西天文学習館の開所式で挨拶する中内知事)
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