コメットシーカーとは、彗星を見つけ出す望遠鏡の事である。内外を問わず、多くの彗星ハンターたちが、独自に考案した望遠鏡で宇宙の放浪者たる彗星を探した。私もその例にもれずに、様々な設計のコメットシーカーを考案してホウキ星を探した。口径僅か8.5センチ、15xの四角い木の筒の望遠鏡で1961年10月、はじめて”セキ彗星(1961 T2)”を発見できたのは奇跡であった。
その後ニコンの12センチ20xの捕鯨船用の双眼望遠鏡を駆使して、宇宙を泳ぐクジラならぬホウキボシを捜索して3頭の新彗星に出逢えたのは幸いであった。
その時の観測所は自宅前の広い畑の中に建っていた。いわゆるスライドルーフ式の狭い小屋である。これも自作の口径15センチ24xの反射経緯儀である。1954年の10月、周期68年のクロムメリン彗星の再発見に貢献したが、新彗星の発見はなかった。
その頃の高知市は寒く夜半には氷点下5度にまで冷え込んだ。ある朝、観測が終わってホッと一息入れているとき、近くの教会から突然讃美歌の合唱がきこえてきた。クリスマスの日であった。彗星の見つからなかった虚ろな自分の心に、敬虔な気分が伝わってきた。空は次第に白みはじめたが、私はいつまでも東の虚空を見つめていた。
嗚呼、こんな日を幾十日、幾百日積み重ねたことか。本来なら敗退したはずの自分が生き延びて、晴れの発見に恵まれたのである。それは単なる忍耐とか幸運とか、奇跡とかの単純な言葉では言い表せなかった。
発見した彗星の軌道を、自分で計算する。これも今までになかった斬新な出来事であった。天体までの距離(天文単位)を知るための難解なガウスの4次方程式を逐次近似値法で収斂するまで解いていったのも、初めての試みであり発見でもあった。最初の彗星発見こそ、私の最大の試練であり人生での重大な分岐点でもあった。
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その後ニコンの12センチ20xの捕鯨船用の双眼望遠鏡を駆使して、宇宙を泳ぐクジラならぬホウキボシを捜索して3頭の新彗星に出逢えたのは幸いであった。
その時の観測所は自宅前の広い畑の中に建っていた。いわゆるスライドルーフ式の狭い小屋である。これも自作の口径15センチ24xの反射経緯儀である。1954年の10月、周期68年のクロムメリン彗星の再発見に貢献したが、新彗星の発見はなかった。
その頃の高知市は寒く夜半には氷点下5度にまで冷え込んだ。ある朝、観測が終わってホッと一息入れているとき、近くの教会から突然讃美歌の合唱がきこえてきた。クリスマスの日であった。彗星の見つからなかった虚ろな自分の心に、敬虔な気分が伝わってきた。空は次第に白みはじめたが、私はいつまでも東の虚空を見つめていた。
嗚呼、こんな日を幾十日、幾百日積み重ねたことか。本来なら敗退したはずの自分が生き延びて、晴れの発見に恵まれたのである。それは単なる忍耐とか幸運とか、奇跡とかの単純な言葉では言い表せなかった。
発見した彗星の軌道を、自分で計算する。これも今までになかった斬新な出来事であった。天体までの距離(天文単位)を知るための難解なガウスの4次方程式を逐次近似値法で収斂するまで解いていったのも、初めての試みであり発見でもあった。最初の彗星発見こそ、私の最大の試練であり人生での重大な分岐点でもあった。
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