周期76年のハレー彗星が、今太陽から最も遠い「遠日点」に潜んでいます。これから、再び太陽に近い近日点に向かって旅を始めようとするところです。
 思えば、私が中学生の時、天文学に興味をもちはじめたころ、ハレー彗星は遠日点の近くにいました。今また遠日点にいるという事は、ハレー彗星の周期と同じ76年間、私は天文を続けてきたことになります。(因みに山本一清博士はハリ彗星と、発音していました)

 添付した写真は、1984年9月、芸西で検出した時のもので21等。ガラスの写真乾板
では辛うじて判別できますが、焼き付けると消えてしまいす。しかしルーペで見ると矢印の先端に小さなイメージとして幽かに見えています。検出当時いかに暗い光度であったかが分かります。この位置観測は、中野主一氏の調査によって、外国の観測と良く調和することが分かりました。芸西ではこの後も、数日の観測に成功しました。(20等〜21等)
 当時は相反不軌に強い、コダック社のガラス乾板103a-oを常用していましたが、これは高温に弱くアメリカのコダック社から、ドライアイスに詰めて私の下に航空便で送ってきました。芸西で使っていた「名刺判」の大きさが一枚800円もする高価のもので、一晩に10枚は使用するので天体観測も大変なモノ入りでした。しかし、それだけに天体観測というものを大事に思っていたのです。こうして、ハレー彗星東洋最初観測の狼煙は、そうした努力と、大変な負担の上立つものでした。

 一方、写真の下段は、最初の観測から1年3か月たった後のもので、芸西の同じ60センチの望遠鏡で観測しました。見事な尾を曳き、尾の中に別の小さな第2のコマのような物が現れ、これからも淡い尾を曳いています。1910年に故郷の高知県でハレー彗星を見た五藤留子夫人は、この天文台で2回目のハレー彗星との面会を果たしました。世界に恐らく類例のない珍しい記録を作られました。
 ハレー彗星接近直前に世を去って、小惑星に命名された夫の五藤斎三氏の無念を想い、こんな歌を詠みました。

 五藤ぼし 竜馬の星と共どもに
   ハレーもとめて天(あま)かけりいん

 芸西天文台のドームの上には、折から幻想的なハレー彗星がたなびき、1910年の時との想い出をつないでいました。

スキャン

にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村