私が小説が好きになったのは、小学中学年のころ、母が購読していた「主婦の友」という部厚い月刊誌の影響である。毎月連載物の小説が掲載されていて愛読した。
その頃小説家では山本有三氏や、吉屋信子女史らが、盛んに面白い小説を連載していた。中でも貧しい家庭の少年の苦闘を描いた「路傍の石」には、強い感銘をけた。時あたかも戦時中で、軍の観閲が厳しく、小説に社会主義的な傾向が現れた時、軍閥から声がかかり、小説は面白いところで突然中断された。いわゆる「鶴の一声」である。
しかし「路傍の石」は後世に残る名作であって、映画にもなって、文部省から各小学校に配給された。多くの子供たちはこの映画を学校の講堂で見て、密かに泣いた。明るいところに出ると皆んな赤い目をしていた。
中学生になってからも毎日系の「少国民新聞」に連載物の小説が多く発表された。海野十三の「火星兵団」や、山中峯太郎の「亜細亜に立つ火柱」なんか、時局がら歓迎された。
また南洋一郎の「地底王国」では、日本の探検隊が、氷の南極大陸に、音楽の聞こえてくる不思議な洞窟を発見する。知られざる地底の王国かもしれないとて、いよいよ探検しょうと言うときになって、時あたかも太平洋戦の前夜。作者に召集の赤紙が来て、作者は、執筆半ばで兵役に服することになる。
あれからどんな構想になっていたのか。秘密の洞穴の正体は? 私なりに小説のつづきを空想してみたたりした。
海野が少国民新聞に連載した「火星兵団」も面白かった。海野は科学者でもあって、小説の中で、地球と彗星が衝突するとき、近くにあった月の摂動作用を利用して、衝突を回避さした。海野は子供のころ観た1910年のハレー大彗星の地球接近が印象に残っていたらしい。小説の世界で、「宇宙船から見た地球は碧かった」と、実際に宇宙から見たロシアのガガーリンより10年早く叫んだという。
「火星兵団」は私が少年のころ出逢った科学空想小説で、天文学を始める大きな動機となった。人生での出会いとは、奇怪なものである。
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その頃小説家では山本有三氏や、吉屋信子女史らが、盛んに面白い小説を連載していた。中でも貧しい家庭の少年の苦闘を描いた「路傍の石」には、強い感銘をけた。時あたかも戦時中で、軍の観閲が厳しく、小説に社会主義的な傾向が現れた時、軍閥から声がかかり、小説は面白いところで突然中断された。いわゆる「鶴の一声」である。
しかし「路傍の石」は後世に残る名作であって、映画にもなって、文部省から各小学校に配給された。多くの子供たちはこの映画を学校の講堂で見て、密かに泣いた。明るいところに出ると皆んな赤い目をしていた。
中学生になってからも毎日系の「少国民新聞」に連載物の小説が多く発表された。海野十三の「火星兵団」や、山中峯太郎の「亜細亜に立つ火柱」なんか、時局がら歓迎された。
また南洋一郎の「地底王国」では、日本の探検隊が、氷の南極大陸に、音楽の聞こえてくる不思議な洞窟を発見する。知られざる地底の王国かもしれないとて、いよいよ探検しょうと言うときになって、時あたかも太平洋戦の前夜。作者に召集の赤紙が来て、作者は、執筆半ばで兵役に服することになる。
あれからどんな構想になっていたのか。秘密の洞穴の正体は? 私なりに小説のつづきを空想してみたたりした。
海野が少国民新聞に連載した「火星兵団」も面白かった。海野は科学者でもあって、小説の中で、地球と彗星が衝突するとき、近くにあった月の摂動作用を利用して、衝突を回避さした。海野は子供のころ観た1910年のハレー大彗星の地球接近が印象に残っていたらしい。小説の世界で、「宇宙船から見た地球は碧かった」と、実際に宇宙から見たロシアのガガーリンより10年早く叫んだという。
「火星兵団」は私が少年のころ出逢った科学空想小説で、天文学を始める大きな動機となった。人生での出会いとは、奇怪なものである。
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