私の良く散歩する鏡川の土手です。
藩政年代から築かれた有名な石垣の塀が続いています。築屋敷町と言います。私の歩いている土手のすぐ南側は、清流「鏡川」が流れています。小学生のころには学校から水泳の授業で泳ぎに来ました。そして、昭和20年7月4日の高知市大空襲では、この川に逃れました。焼夷弾の油脂があふれて、川も火の海となりました。そのような、忌まわしい記憶がよみがえってきましたが、今は平和な時代です。ちょうど満開の桜が見事です。300米ほどの桜並木です。
1948年に”マックガン彗星”が突然暁の空に現れた時、日本で最初に発見した人が、この築屋敷に居ました。”日食彗星”です。発見当初は巨大な尾が、東南に見える筆山の上にかさなるように横たわっていたと言います。私が高校生のころ初めて出会った彗星で、この事件が、結局本田さんに手紙を書く動機となりました。どちらかと言うと、内向的で、常に人を敬遠されていた本田さんが、私に詳しい発見法の手紙を書いたという事も奇跡です。その軌跡がのち”関彗星”を生んだのでした。
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藩政年代から築かれた有名な石垣の塀が続いています。築屋敷町と言います。私の歩いている土手のすぐ南側は、清流「鏡川」が流れています。小学生のころには学校から水泳の授業で泳ぎに来ました。そして、昭和20年7月4日の高知市大空襲では、この川に逃れました。焼夷弾の油脂があふれて、川も火の海となりました。そのような、忌まわしい記憶がよみがえってきましたが、今は平和な時代です。ちょうど満開の桜が見事です。300米ほどの桜並木です。
1948年に”マックガン彗星”が突然暁の空に現れた時、日本で最初に発見した人が、この築屋敷に居ました。”日食彗星”です。発見当初は巨大な尾が、東南に見える筆山の上にかさなるように横たわっていたと言います。私が高校生のころ初めて出会った彗星で、この事件が、結局本田さんに手紙を書く動機となりました。どちらかと言うと、内向的で、常に人を敬遠されていた本田さんが、私に詳しい発見法の手紙を書いたという事も奇跡です。その軌跡がのち”関彗星”を生んだのでした。
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