4月28日、福島県の佐藤裕久さんから、「未確認の彗星」と言うテーマでメールによる報告を受けた。未確認の彗星らしい天体を観測したのは、コメットハンターの村上茂樹さんで2024年4月27日の日本時間の4時33分に11等星で、薄明の中を移動していく天体を発見したが高速のために見失ったという。
これは恐らく地球に異常に接近した天体だと思うが、見かけの速度が非常に速いので追跡が著しく困難となる。この種の天体に、日本で最初に出逢ったのは捜索界の大御所、本田実さんであった。
太平洋戦争勃発前夜の1940年、「岡林−本田彗星」を発見した鳥取県の本田実氏は同じ年の9月中旬、南の空を捜索中に、非常に固有運動の速い天体を「みずかめ座」の中に発見した。8等級で視直径は20分あったという。本田さんは口径10センチの自作の反射望遠鏡でしばらく追跡したが、(この様な速度の速い天体はあるはずはない)と結論し、追跡を断念したという。ところが、後で古い記録を調べていたら、19世紀のフランスの、有名なコメットハンターの「ポン」が、こうした速い運動の天体に遭遇して未知の「彗星」と断定したことを知ったという。
ところが、事実はまことに奇なものである。本田さんの目撃から実に60年の歳月が流れ、今度は芸西天文台の空で、私が遭遇することになろうとは、誰が予測したであろうか。
昭和18年太平洋戦争に出征する前の本田実氏(向かって右)と岡林しげき氏です。本田氏は戦中シンガポールで彗星を発見して、終戦後の昭和22年に帰還しましたが、岡林氏は昭和20年4月、乗船の病院船が、台湾海峡で敵の潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没しました。有名な「阿波丸事件」です。1940年10月、二人が同時に発見した「岡林−本田彗星」は有名です。
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これは恐らく地球に異常に接近した天体だと思うが、見かけの速度が非常に速いので追跡が著しく困難となる。この種の天体に、日本で最初に出逢ったのは捜索界の大御所、本田実さんであった。
太平洋戦争勃発前夜の1940年、「岡林−本田彗星」を発見した鳥取県の本田実氏は同じ年の9月中旬、南の空を捜索中に、非常に固有運動の速い天体を「みずかめ座」の中に発見した。8等級で視直径は20分あったという。本田さんは口径10センチの自作の反射望遠鏡でしばらく追跡したが、(この様な速度の速い天体はあるはずはない)と結論し、追跡を断念したという。ところが、後で古い記録を調べていたら、19世紀のフランスの、有名なコメットハンターの「ポン」が、こうした速い運動の天体に遭遇して未知の「彗星」と断定したことを知ったという。
ところが、事実はまことに奇なものである。本田さんの目撃から実に60年の歳月が流れ、今度は芸西天文台の空で、私が遭遇することになろうとは、誰が予測したであろうか。
昭和18年太平洋戦争に出征する前の本田実氏(向かって右)と岡林しげき氏です。本田氏は戦中シンガポールで彗星を発見して、終戦後の昭和22年に帰還しましたが、岡林氏は昭和20年4月、乗船の病院船が、台湾海峡で敵の潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没しました。有名な「阿波丸事件」です。1940年10月、二人が同時に発見した「岡林−本田彗星」は有名です。
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