1910年以来、約75年振りに回帰したハレー彗星は、1984年12月、芸西天文台の60センチ反射望遠鏡の中の「クモ糸」に誘導されて、正確に移動していた。正に東洋最初の発見である。
天体望遠鏡のファインダーの中の十字線は、従来「クモ糸」を張るのが常識であった。なぜなら、ジョロ蜘蛛のお尻から出す白い糸は、同じ大きさの鉄線よりも遥かに強く切れにくかった。そして、何よりも良いことは、幽かな豆電球の光を受けて良く輝いたのである。したがって、観測者は観測する目的の天体の固有運動を、このクモ糸に沿って誘導し、追跡して行ったのである。
これはテクニックの要る、大変にむつかしい作業であった。山崎正光氏によると水沢緯度観測所では、この「クモイト」に使う、ジョロ蜘蛛を、裏庭で沢山飼っていたという。大昔から、日本を問わず、世界の天文台では、精密な天体観測に、蜘蛛君のお世話になっていたわけである。
芸西天文台では、1984年の秋、60cm反射望遠鏡でハレー彗星を追跡していた。彗星のイメージこそみえなかったが、ファインダーの中のクモ糸に沿って移動しているはずのハレー彗星をなんと35分間にわたって手動で追跡した。裏庭では盛んに秋の虫たちがすだいていた。「リーンリーン」と鈴虫。「チンチロリン」とマツ虫。そして、名は知らないが、「ズイーチョン」に「ガチャガチャガチャ」と意気盛んな虫の音。
こうした楽しい虫の大合奏も、この10年、20年まったく聞かれなくなったのはどうした環境の変化によるものであろか。
写真(上)1984年9月23日、芸西で21等星として検出した時のかすかなハレー彗星。
写真(下)翌1985年12月31日、明るくなったころの同彗星。尾の中に怪光ひかる。いずれも芸西の60センチ反射望遠鏡で撮影。
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天体望遠鏡のファインダーの中の十字線は、従来「クモ糸」を張るのが常識であった。なぜなら、ジョロ蜘蛛のお尻から出す白い糸は、同じ大きさの鉄線よりも遥かに強く切れにくかった。そして、何よりも良いことは、幽かな豆電球の光を受けて良く輝いたのである。したがって、観測者は観測する目的の天体の固有運動を、このクモ糸に沿って誘導し、追跡して行ったのである。
これはテクニックの要る、大変にむつかしい作業であった。山崎正光氏によると水沢緯度観測所では、この「クモイト」に使う、ジョロ蜘蛛を、裏庭で沢山飼っていたという。大昔から、日本を問わず、世界の天文台では、精密な天体観測に、蜘蛛君のお世話になっていたわけである。
芸西天文台では、1984年の秋、60cm反射望遠鏡でハレー彗星を追跡していた。彗星のイメージこそみえなかったが、ファインダーの中のクモ糸に沿って移動しているはずのハレー彗星をなんと35分間にわたって手動で追跡した。裏庭では盛んに秋の虫たちがすだいていた。「リーンリーン」と鈴虫。「チンチロリン」とマツ虫。そして、名は知らないが、「ズイーチョン」に「ガチャガチャガチャ」と意気盛んな虫の音。
こうした楽しい虫の大合奏も、この10年、20年まったく聞かれなくなったのはどうした環境の変化によるものであろか。
写真(上)1984年9月23日、芸西で21等星として検出した時のかすかなハレー彗星。
写真(下)翌1985年12月31日、明るくなったころの同彗星。尾の中に怪光ひかる。いずれも芸西の60センチ反射望遠鏡で撮影。
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