今年の夏も恒例の花火大会が催された。今年は先日、九州の東海岸で地震が発生したので、近年やって来ると言われる南海トラフ地震との関連が心配されて、花火大会も規模を縮小して実施された。実際は1時間以上かけて打ち上げる花火であるが、約4000発の花火がわずか40分ほどで連続して打ちあがったので退屈することが無かった。爽快であった。ここ高知市は無数の星で包まれた。そして戦時中に高知市に落下してきた焼夷弾の火をも連想した。
高知県での花火大会の歴史は古かった。昭和12〜3年のころ「狂い火」と称して、高知市の鏡川沿いの「御旅所」で実施された。いつも8月の一番暑い宵であった。わたしの家から直線で1キロ位の場所で、家の2階の窓から眺められた。「御旅所」と言うのは土佐24万石の山内家の殿様の行列が、ある時この場所で休息したので、その名が残っているのである。
花火は自宅の彗星捜索台の上からも眺められた。ある時彗星の捜索をやっていたら、15センチの反射鏡に、とつぜん巨大な花火が輝いた。「見るなら私よ」と言わんばかりに反射鏡の中に炸裂した花火は、何に例えるともなく壮観であった。恐ろしいほどに、青く壮烈であった。その美しさに思わず身ぶるいした。こんな経験をした人は恐らく私一人だろうと思う。誠に値千金の一瞬であった。
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高知県での花火大会の歴史は古かった。昭和12〜3年のころ「狂い火」と称して、高知市の鏡川沿いの「御旅所」で実施された。いつも8月の一番暑い宵であった。わたしの家から直線で1キロ位の場所で、家の2階の窓から眺められた。「御旅所」と言うのは土佐24万石の山内家の殿様の行列が、ある時この場所で休息したので、その名が残っているのである。
花火は自宅の彗星捜索台の上からも眺められた。ある時彗星の捜索をやっていたら、15センチの反射鏡に、とつぜん巨大な花火が輝いた。「見るなら私よ」と言わんばかりに反射鏡の中に炸裂した花火は、何に例えるともなく壮観であった。恐ろしいほどに、青く壮烈であった。その美しさに思わず身ぶるいした。こんな経験をした人は恐らく私一人だろうと思う。誠に値千金の一瞬であった。
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