1961年10月に発見された「関彗星」は自らの計算によって、その運行のコースが決まり、11月には地球に大接近して南下していきました。次に帰来するのは760年も先の事ですが、その頃も地球が安泰でいてほしいと思います。

 天体の軌道計算は、理論的には積分方程式が出てくるほどに難解なものですが、この理論を独学で勉強していた人に、須磨在住の長谷川一郎氏が居ました。長谷川氏は、洲本市の中野主一氏や加古川の河野健三、そして高知県の村岡健治氏ら計算の大家を輩出した人です。東亜天文学会の計算課を務め、私も度々お世話になりました。彼の仕事を手伝って、多くの彗星の予報を計算しました。中でも200個以上の小惑星の軌道を計算して貢献しました。このころの東亜天文学会の指導者(会長)は山本一清博士でした。

 いま各地で開催されている「彗星会議」の発起者は長谷川氏でした。1970年に、愛知県の小島信久氏が彗星を写真的に発見し、それを契機として全国的な規模の会議が始まりました。長谷川、小島、関の三人が発起人となって、これまで50回以上も一回も休むことなく毎年続いていることは立派です。その間、国立天文台の大先生方や、アメリカ スミソニアン天文台のマースデン博士。オーストラリアのコメットハンターの雄、ブラッドフイールド氏なんかも参加し、講演しました。

(写真は神戸市須磨の教会での長谷川一郎氏と関。1962年頃)

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