先に当時のチェコ スロヴァキアで、新彗星発見に奮闘した「パイドゥシャーコヴァー女史」について述べたが、当時としては、いわゆる「鉄のカーテン」の中での出来事で、その真相についてはほとんどわからなかった。ただ、京都大学の花山天文台に届いた資料によると、スカルナテ・プレソ天文台では、ベクバル台長の発見をはじめとする一連の彗星発見は、新型の双眼望遠鏡によるものであることが判明した。口径は10センチ、実視野は4度あったという。この新兵器?を駆使して、天文台では多くの彗星が発見されたが、なかでもムルコスの活躍はすばらしかった。正に「彗星を呼ぶムルコス」であった。
10年ほど昔になるが、私が水沢の遊学館(昔の緯度観測所)を訪ねた時、ムルコス氏の死亡広告を持っている人がいた。どのような関係か知らないが、チェコの報道機関から、彼の死亡について詳しく報告されていた。昔のポンやメシエではないが、これほど新彗星発見で天文界を騒がした人はいなかった。当時捜索を始めたばかりの私も、彼の活躍の厚い壁にぶっつかって苦闘した、今では懐かしい思い出である。


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10年ほど昔になるが、私が水沢の遊学館(昔の緯度観測所)を訪ねた時、ムルコス氏の死亡広告を持っている人がいた。どのような関係か知らないが、チェコの報道機関から、彼の死亡について詳しく報告されていた。昔のポンやメシエではないが、これほど新彗星発見で天文界を騒がした人はいなかった。当時捜索を始めたばかりの私も、彼の活躍の厚い壁にぶっつかって苦闘した、今では懐かしい思い出である。

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